旭川市(読み)アサヒカワシ

デジタル大辞泉 「旭川市」の意味・読み・例文・類語

あさひかわ‐し〔あさひかは‐〕【旭川市】

旭川

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「旭川市」の解説

旭川市
あさひかわし

面積:七四七・六〇平方キロ

大正一一年(一九二二)八月旭川区を廃して市制施行、旭川市が成立(官報)。上川支庁管内の中央部西寄りに位置する。北から東にかけて上川郡の鷹栖たかす町・和寒わつさむ町・比布ぴつぷ町・当麻とうま町、東から南にかけて同郡の上川町・東川ひがしかわ町・東神楽ひがしかぐら町・美瑛びえい町と接し、南から西にかけては空知支庁の芦別市、西から北にかけて同支庁の深川市・雨竜うりゆう幌加内ほろかない町と接する。北西部に幌内ほろない(五七七・三メートル)・シラッケ山(六二四メートル)、西部に常磐ときわ(五九二・八メートル)、南西部に神居かむい(七九九・二メートル)、北東部に鬼斗牛きとうし(三七九・三メートル)、南東部に米飯ぺいぱん(九一九・九メートル)などがある。北部からのオサラッペ川、北東部からの牛朱別うしゆべつ川、南東部からの忠別ちゆうべつ川・美瑛川が中小の河川を集めながら旭川市街地の西で石狩川に合流、神居古潭かむいこたんを経て深川方面に西流する。市域をJR函館本線・宗谷本線石北せきほく本線・富良野線、道央自動車道、国道一二号・三九号・四〇号・二三七号・四五二号などが通る。

近世はイシカリ場所のうちで、カムイコタン、ハルシナイ、ヲチンガハなどのほか、天保郷帳では西蝦夷地蝦夷人居所之分にイシカリ持場のうちとしてアサンカラ、イノウ、ウシシベツヱタンベツ、チカワウニ、「チユクベツ」、ナヱタヱベ、ヌフヲマナイなどが記される。明治二年(一八六九)八月の国郡画定に伴い、当市域一帯は石狩国上川郡に属した。同二三年同郡内に旭川村・神居村永山ながやま村が設置され、同二五年には鷹栖村・神楽かぐら村が置かれた。同三〇年旭川村から東川村、翌三一年永山村より東旭川村が分立。同三三年旭川村が旭川町と改称。大正三年旭川町が区制を施行、旭川区となる。同一一年八月旭川区が市制施行。初代市長にもと第七師団歩兵第二七連隊で予備役陸軍少将の岩田恒が就任。同年の世帯数一万二千三七一・人口六万二千四六二(旭川市史)。昭和三年(一九二八)六月市内四条通よじようどおり師団しだん道路との交差点を中心とした半径四・八キロの円周内を都市計画区域と決定。同六年八月給与予定地全部の貸付けを求めた第三次近文ちかぶみアイヌ給与地問題が発生。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「旭川市」の意味・わかりやすい解説

旭川〔市〕
あさひかわ

北海道中央部,上川盆地にある中核市上川総合振興局の所在地。札幌市に次ぎ函館市と並ぶ重要都市。石狩川,牛朱別川 (うしゅべつがわ) ,忠別川,美瑛川が合流する位置にある。1922年市制。1955年神居村,江丹別村の 2村,1961年永山町,1963年東旭川町,1968年神楽町,1971年東鷹栖町をそれぞれ編入。地名はアイヌ語のチュッペベツ (東から流れる川の意) に由来。1890年屯田兵村が置かれ,1901年札幌から第7師団が移設され軍事都市として発展。行政,文化の中心で,原生林を計画的に開拓したので,市街,農耕地は碁盤目状に整然としている。北部の近文台,春光台と南部の神楽岡洪積台地を除くと,大部分が沖積地で肥沃。大陸性気候で,夏の高温を利用した米作が行なわれる。農産物の大集散地。「北海道の灘」と呼ばれ,酒造も有名。大雪山系の森林を背景に製材,木工,パルプ,家具,マッチなどの工業も発達。都市中心部は石狩川左岸にあり,平和通り,四条通りは繁華街。緑橋通りは官庁および金融街で市の象徴であるナナカマドの並木道が美しい。景勝地神居古潭には,先住民アイヌの住居跡,神居古潭竪穴住居跡やアイヌ記念館があり,アイヌ古式舞踊は国の重要無形民俗文化財に指定されている。JR函館本線,宗谷本線,石北本線,富良野線の発着地。国道も札幌市,稚内市網走市富良野市に通じる交通の要地。面積 747.66km2。人口 32万9306(2020)。

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