星野 直樹(読み)ホシノ ナオキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「星野 直樹」の解説

星野 直樹
ホシノ ナオキ


肩書
貴院議員(勅選),満州国総務長官,内閣書記官長

生年月日
明治25年4月10日

出生地
群馬県利根郡沼田町

出身地
神奈川県横浜市元町

学歴
東京帝大法科大学〔大正6年〕卒

経歴
大学を出て大蔵省に入り、岸信介とともにキレ者とうたわれた。昭和7年満州国の日本人官吏となり、実業界の鮎川義介らと協力して産業計画を推進。12年には国務院総務長官となり、関東軍参謀長に就任した東条英機とともに満州国の財政経済を統轄する。15年に日本に帰り近衛内閣国務相・企画院総裁となるが、16年企画院事件の責任をとって辞職、勅選貴院議員。同年東条内閣の書記官長に就任、東条側近として大きな発言力を持った。戦後はA級戦犯となり、23年3月に終身刑を宣告されたが、30年に釈放される。その後は政界入りは断ってダイヤモンド社社長のあと、旭海運社長、東京国際・羽田東急各ホテル社長などを歴任した。また大の巨人軍ファンで、正力松太郎に屋根つき野球場の計画を持ちかけたこともある。

没年月日
昭和53年5月29日

家族
弟=星野 芳樹(静岡新聞編集主幹)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「星野 直樹」の解説

星野 直樹
ホシノ ナオキ

昭和期の官僚,政治家 内閣書記官長;貴院議員(勅選);満州国総務長官。



生年
明治25(1892)年4月10日

没年
昭和53(1978)年5月29日

出生地
群馬県利根郡沼田町

出身地
神奈川県横浜市元町

学歴〔年〕
東京帝大法科大学〔大正6年〕卒

経歴
大学を出て大蔵省に入り、岸信介とともにキレ者とうたわれた。昭和7年満州国の日本人官吏となり、実業界の鮎川義介らと協力して産業計画を推進。12年には国務院総務長官となり、関東軍参謀長に就任した東条英機とともに満州国の財政経済を統轄する。15年に日本に帰り近衛内閣の国務相・企画院総裁となるが、16年企画院事件の責任をとって辞職、勅選貴院議員。同年東条内閣の書記官長に就任、東条側近として大きな発言力を持った。戦後はA級戦犯となり、23年3月に終身刑を宣告されたが、30年に釈放される。その後は政界入りは断ってダイヤモンド社社長のあと、旭海運社長、東京国際・羽田東急各ホテル社長などを歴任した。また大の巨人軍ファンで、正力松太郎に屋根つき野球場の計画を持ちかけたこともある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「星野 直樹」の解説

星野 直樹 (ほしの なおき)

生年月日:1892年4月10日
昭和時代の官僚;政治家。内閣書記官長;貴院議員(勅選)
1978年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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