春風亭柳枝(初代)(読み)しゅんぷうてい・りゅうし

朝日日本歴史人物事典 「春風亭柳枝(初代)」の解説

春風亭柳枝(初代)

没年:明治1.7.17(1868.9.3)
生年:文化10(1813)
江戸後期の落語家幼名亀吉。江戸生まれ。16歳で初代麗々亭柳橋に入門,従来の人情咄の演出を一変させた。「九州吹き戻し」「美代吉殺し」を得意とし,小栗判官物の合巻『照天松操月鹿毛』(1854~58)を刊行した。酒を好み戒名も酒遊院柳枝日新信士(のち柳枝日喜)という。門下より初代談洲楼燕枝を出す。名跡は昭和34(1959)年に没した8代におよぶ。<参考文献>関根黙庵『講談落語考』(改題増補部加筆,1967)

(延広真治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春風亭柳枝(初代)」の解説

春風亭柳枝(初代) しゅんぷうてい-りゅうし

1813-1868 江戸時代後期の落語家。
文化10年生まれ。初代麗々亭柳橋(れいれいてい-りゅうきょう)の門人。「九州吹戻し」「三代吉(みよきち)殺し」など人情噺(ばなし)を得意とした。門下に2代柳枝,初代談洲楼燕枝(だんしゅうろう-えんし)ら。慶応4年7月17日死去。56歳。江戸出身。幼名は亀吉。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の春風亭柳枝(初代)の言及

【春風亭柳枝】より

…落語家の芸名。(1)初代(?‐1868(明治1)) 初代麗々亭柳橋門下。《九州吹き戻し》など人情噺の名手として知られた。初代談洲楼燕枝(えんし)の師にあたる。(2)2代(1821‐74∥文政4‐明治7) 初代門下。(3)3代(1852‐1900∥嘉永5‐明治33) 本名鈴木文吉。初代談洲楼燕枝門下。〈蔵前の大師匠〉と呼ばれ,柳派の頭取として重きをなした。(4)4代(1868‐1927∥明治1‐昭和2) 本名飯盛和平。…

【落語】より


[幕末の江戸落語]
 1842年(天保13)の改革策によって,寄席の数もそれ以前の120余軒から15軒に制限されて衰微した江戸落語界も,改革の中心人物水野忠邦の失脚によって制限が撤廃されるとしだいに復興し,人情噺,芝居噺が流行したが,さらに三題噺の復活から隆盛に向かった。〈粋狂連(すいきようれん)〉〈興笑連(きようしようれん)〉などの三題噺のグループが生まれ,狂言作者の瀬川如皐(じよこう),河竹新七(のちの河竹黙阿弥(もくあみ)),戯作者の山々亭有人(さんさんていありんど),仮名垣魯文(かながきろぶん),絵師の一恵斎芳幾(いつけいさいよしいく)などに,金座役人高野酔桜軒(すいおうけん),大伝馬町の豪商勝田某(春の舎(や)幾久)などをはじめとする江戸の文人や通人,落語家の初代春風亭柳枝(しゆんぷうていりゆうし),3代柳亭左楽(りゆうていさらく)(?‐1872),初代三遊亭円朝などが参加して,三題噺の自作自演に熱中した。このグループ活動を契機として,幕末から明治にかけての東京落語界の中心人物になる円朝が成長したことは意義深かった。…

※「春風亭柳枝(初代)」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android