景轍玄蘇(読み)けいてつ・げんそ

朝日日本歴史人物事典 「景轍玄蘇」の解説

景轍玄蘇

没年:慶長16(1611)
生年天文6(1537)
戦国から江戸時代初期にかけての外交僧,対馬以酊庵を創建した。号は仙巣。はじめ博多聖福寺の住持であったことから,当地の豪商,嶋井宗室らと親交を深める。天正8(1580)年,対馬島主宗義調の要請に応じて日本国王使として朝鮮へ渡り,以来対馬にとどまり外交活動に専従。また博多商人グループと宗氏との関係を緊密にするなど,経済活動にも影響を与える。文禄の役(1592)前,戦役回避のため小西行長や宗義智らと奔走し,戦後も和平回復に尽力して,慶長14(1609)年,近世日朝間の通交規定,己酉約条を締結させた。この功績により朝鮮国王は特に図書(銅印)を贈り,以酊庵送使船の派遣を許した。詩文集『仙巣稿』がある。

(田代和生)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「景轍玄蘇」の解説

景轍玄蘇 けいてつ-げんそ

1537-1611 戦国-江戸時代前期の僧。
天文(てんぶん)6年生まれ。臨済(りんざい)宗。永禄(えいろく)のころ筑前(ちくぜん)(福岡県)博多の聖福寺住持となる。天正(てんしょう)8年対馬(つしま)(長崎県)島主宗義調(よししげ)にこわれて日本国王使として朝鮮にわたり,以後対馬にとどまる。文禄(ぶんろく)・慶長の役では朝鮮との外交にあたり,慶長14年朝鮮で己酉(きゆう)約条の締結につくした。慶長16年10月22日死去。75歳。筑前出身。俗姓河津。別号に仙巣(せんそう)。詩文集に「仙巣稿」。

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