朝日日本歴史人物事典 「望月太左衛門(6代)」の解説
望月太左衛門(6代)
生年:天保1(1830)
江戸後期・明治初期の歌舞伎囃子方。4代目太左衛門に師事。前名,太喜蔵。文久1(1861)年,2代目望月朴清(4代目太左衛門)が没したとき,すでに5代目は死亡しており,後継者が決まっていなかったので,4代目弟子の太之助,太左吉,太喜蔵,5代目の弟子の2代目福原百之助(2代目宝山左衛門)らの間で跡目が争われ,結局明治2(1869)年,芸は最も劣っていたが森田座座付きの芝居茶屋を経営するなど大いに勢力を振るっていた太喜蔵が6代目を襲名した。のちに,38年,4代目望月長九郎が30年間中絶していた太左衛門の7代目を継ぐと,2代目宝山左衛門は太喜蔵の6代目を無視して6代目太左衛門を称し,山左衛門の没する43年までふたり太左衛門の時代が出現した。
(小林責)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報