李 登輝(読み)リ・トウキ(英語表記)Lee Teng-hui

現代外国人名録2016 「李 登輝」の解説

李 登輝
リ・トウキ
Lee Teng-hui

職業・肩書
政治家 台湾綜合研究院名誉会長 元台湾総統,元台湾国民党主席

国籍
台湾

生年月日
1923年1月15日

出生地
台北県

学歴
京都帝国大学農学部農林経済学科〔1946年〕中退,台湾大学農業経済学系〔1948年〕卒,アイオワ州立大学大学院(農業経済学)〔1953年〕修士課程修了,コーネル大学大学院農業経済学〔1968年〕博士課程修了

学位
農業経済学博士(コーネル大学)〔1968年〕

勲章褒章
モラサン金大十字勲章〔1989年〕, ニカラグア最高栄誉国会勲章チャモロ十字勲章〔1994年〕

受賞
コーネル大学国際傑出校友栄誉賞〔1990年〕,山本七平賞(第8回)〔1999年〕「台湾の主張」,後藤新平賞(第1回)〔2007年〕

経歴
1948〜52年台湾大学講師。’52〜56年台湾省農林庁技正兼経済分析係長。’55〜57年台湾大学教授兼合作金庫研究員。’58〜78年台湾大学非常勤教授。一方、’71年国民党に入党。’72年行政院政務委員(無任所相)として入閣政界入りした。’78〜81年台北市長、’79年国民党中央常務委員、’81年台湾省政府首席などを歴任。敵の少ない温厚な性格、日本語、英語にも堪能な経済通のテクノクラートといわれ、蔣経国総統(当時)の信頼が厚く、’84年3月副総統に指名された。’88年1月蔣経国の死去にともない総統に昇格本省人として初めて総統になった。同年7月国民党主席。’90年3月総統再選。’91年4月“反乱平定時期”(中国共産党を反乱勢力と規定した時期)の終了を宣言。’93年8月党主席再選。’95年6月母校コーネル大学の同窓会に出席するため訪米、注目を集める。’96年3月台湾初の総統直接選挙に当選し、5月就任。’99年7月、中台を特殊な国と国の関係とした“二国論”を提起した。2000年3月総統選で国民党が大敗した責任を取り、党主席を辞任。同年5月総統を退任。この間、台湾の民主化、自由化、経済発展をリードした。2001年8月新党・台湾団結連盟(台連)を発足させるが、このために9月には国民党籍を剥奪される。2010年11月の5直轄市長選で民進党を支持。著書に「愛と信仰」「台湾の主張」「『武士道』解題」などがある。親日家。2000年11月心臓の冠状動脈の拡張手術を行い、2001年4月心臓病治療のため16年ぶりに訪日。2004年12月観光目的で訪日。2005年10月訪米しワシントンのナショナル・プレスクラブで記者会見。2007年5月東北各地を訪れたほか、6月靖国神社に参拝。2008年9月沖縄訪問。2009年9月東京、高知、熊本を訪問。2011年11月大腸がんの切除手術で入院。2013年7月椎骨動脈閉塞で入院し、血管拡張手術を受ける。2014年9月、総理退任後6回目の訪日。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「李 登輝」の解説

李 登輝
りとうき
Lǐ Dēng-huī

1923〜  
台湾の政治家,総統(在任1988〜2000)
台湾生まれ。農村改革の手腕を蔣経国総統に認められ,1978年に台北市長,84年に副総統に就任。1988年,蔣経国の死去により,台湾生まれ(本省人)の最初の総統となった。1990年に再選され,96年には初の国民投票による総統選挙でも再選され,台湾の国際社会での地位向上と民主化に尽力した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

367日誕生日大事典 「李 登輝」の解説

李 登輝 (り とうき)

生年月日:1923年1月15日
台湾の政治家

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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