20世紀日本人名事典 「村上 専精」の解説
村上 専精
ムラカミ センショウ
明治・大正期の仏教史学者,僧侶(真宗大谷派) 東京帝大名誉教授;大谷大学学長。
- 生年
- 嘉永4年4月2日(1851年)
- 没年
- 昭和4(1929)年10月31日
- 出生地
- 丹波国氷上郡野山村(兵庫県春日町)
- 旧姓(旧名)
- 広崎
- 別名
- 別号=不住,舟山
- 学歴〔年〕
- 高倉大学寮卒
- 学位〔年〕
- 文学博士〔明治32年〕
- 経歴
- 真宗大谷派教覚寺に生まれる。生家が貧しい小寺のため、8歳で家を出て寺の小僧となり、苦学した。明治7年京都に出て高倉大学寮に入り、翌8年三河の入覚寺の養嗣子となり村上姓となる。のち高倉大学寮副嗣、富山県教校長、曹洞宗大学林(現・駒沢大学)、哲学館(現・東洋大学)の講師を経て、23年東京大谷教校長、帝大文科大学講師、25年浄土宗本校講師となる。27年門下の鷲尾順敬、境野黄洋とともに雑誌「仏教史林」を創刊。30年「大日本仏教史」第1巻、31年「和漢仏教年契」などを刊行し、わが国における仏教史、特に日本仏教史の研究の基礎を築いた。34年「仏教統一論」(全3巻)の第1編・大綱論で大乗非仏説論者であると非難され僧籍を離れたが、44年復籍。大正6年東京帝大の印度哲学講座の開講につとめ、初代教授に就任。7年帝国学士院会員、12年東京帝大名誉教授、15年大谷大学長、昭和4年真宗大学院教授となった。他の著書に「日本仏教一貫論」「仏教論理学」「日本仏教史綱」(全2巻)「真宗全史」「明治維新神仏分離史料」(全5冊)など多数。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報