村山 於藤(読み)ムラヤマ オフジ

20世紀日本人名事典 「村山 於藤」の解説

村山 於藤
ムラヤマ オフジ

大正・昭和期の実業家 香雪美術館理事長。



生年
明治30(1897)年4月29日

没年
平成1(1989)年3月20日

出身地
大阪

別名
別名=村山 藤子(ムラヤマ フジコ)

経歴
朝日新聞を創業した村山龍平の一人娘。学校に通わず、自宅で京大教授らから教育を受けて成長、子爵次男・岡部長挙を婿養子に迎えた。父の死後は朝日新聞の社主家として大きな発言力を持ち、昭和38年の俗にいう「朝日紛争」をはじめ、朝日新聞社の経営陣と確執を繰り返した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android