20世紀日本人名事典 「村松 梢風」の解説
村松 梢風
ムラマツ ショウフウ
大正・昭和期の小説家
- 生年
- 明治22(1889)年9月21日
- 没年
- 昭和36(1961)年2月13日
- 出生地
- 静岡県周智郡飯田村(現・森町)
- 本名
- 村松 義一
- 学歴〔年〕
- 慶応義塾大学中退
- 経歴
- 大正6年「琴姫物語」で作家としてデビュー。12年「中央公論」に連載した「近世名匠伝」は、いわゆる足で書いた人物評伝のはしりとなり、その後「本朝画人伝」「近代作家伝」「近世名勝負物語」などの連作を、戦中・戦後を通して精力的に発表し続けた。関東大震災後は清水市に住む。大正15年騒人社を設立、個人誌「騒人」を創刊、同誌に「正伝清水の次郎長」を発表。また13年以後、しばしば中国に渡って各地を遍歴、郭沫若、郁達夫ら中国の作家たちと交友し、中国を舞台にした紀行文「魔都」「上海」などを発表。日中戦争中は熱河作戦に従軍し、川島芳子をモデルとした現代小説「男装の麗人」を執筆している。このほか新聞小説では、平手造酒の人間像に新しい解釈を加えた「人間飢饉」(昭6年)をはじめ「ふらんすお政」「新水滸伝」「川上音二郎」「桃中軒雲右エ門」等がある。小説の代表作に「残菊物語」(昭12年)があり、巌谷槇一の脚色で新派の主要演目となり、のち度々映画化もされた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報