新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「東久邇 稔彦」の解説
東久邇 稔彦
ヒガシクニ ナルヒコ
- 肩書
- 第43代首相
- 別名
- 旧名=東久邇宮 稔彦(ヒガシクニノミヤ ナルヒコ)
- 生年月日
- 明治20年12月3日
- 出生地
- 京都府京都市
- 学歴
- 陸士〔明治41年〕卒 陸大〔大正3年〕卒
- 経歴
- 久邇宮朝彦親王第九男子。明治39年東久邇宮の称号を賜る。陸士、陸大を卒業後、大正9年からフランスに7年間留学し、自由主義の気風を身につけた。陸軍内部では皇道派と衝突し、左遷されたことも。師団長、軍事参事官、航空本部長を経て、昭和13年第2司令官として日中戦争に従軍。14年陸軍大将に昇進、16年太平洋戦争勃発とともに防衛総司令官。20年8月の敗戦後、首相として初の皇族内閣を組閣し、降伏文書調印と軍隊の復員・解体などの終戦処理にあたる。しかしGHQ側の占領政策に対して調整がとれず、10月総辞職。22年皇籍を離脱し、25年には“禅宗・ひがしくに教”の教祖にまつりあげられた。著書に「一皇族の戦争日記」「やんちゃ孤独」がある。
- 没年月日
- 平成2年1月20日
- 家族
- 父=久邇宮 朝彦 妻=東久邇 聡子(明治天皇第九皇女) 長男=東久邇 盛厚(帝都高速度交通営団監事) 四男=多羅間 俊彦(ブラジル東京都友会会長) 兄=賀陽宮 邦憲 久邇宮 邦彦 久邇宮 多嘉
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報