東儀 鉄笛(読み)トウギ テッテキ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「東儀 鉄笛」の解説

東儀 鉄笛
トウギ テッテキ


職業
俳優 雅楽師

本名
東儀 季治(トウギ スエハル)

生年月日
明治2年 6月16日

出生地
山城国愛宕郡小川中立売(京都府 京都市下立売)

学歴
東京専門学校(早稲田大学)文学部中退

経歴
宮中楽人の家柄に生まれ、父の東儀季芳は作曲家としても知られる。雅楽局の設置により父に連れられて上京。明治17年宮内省雅楽生となり修業するとともに洋楽も修める。傍ら日本英学館に学び、G.ルーミスの「小学唱歌教授法」などの音楽書を翻訳。また「音楽雑誌」に日本音楽史に関する論考を連載した。25年東京専門学校文学部(早稲田大学)に入学し、坪内逍遥らの知遇を得る。在学中には輪唱唱歌「来れよ来れ」を作詞・作曲。しかし1年で中退し、式部職に復帰した。30年式部職を退職、これは雅楽課内の楽師の待遇改善問題に絡むものといわれる。31年には音楽研究団体・応和会を結成するとともに、音楽に関する論考・評論活動を盛んに行った。同年島村抱月、土肥春曙らと近松研究会を組織。さらに35年には逍遙の易風会に参加。39年には同じく逍遙・抱月らの文芸協会に加わって演劇改良運動に挺身し、「ベニス商人」のシャイロック、「ハムレット」の墓掘り、「マクベス」のマクベス役を得意とし、新劇の草創期に活躍した。また歌劇「常闇」の作曲も手がけている。この間、早稲田大学で教鞭を執った他、同僚の巌谷小波とともに久留島武彦らのお伽倶楽部に加わり、40年には小波作詞の「お伽唱歌」を作曲した。文芸協会の解散後、大正3年に春曙とともに無名会を結成し帝劇「オセロー」で旗揚げしたが、春曙の死後解散。6年新派劇に参加し「不如帰」の片岡中将などを演じた。11年松竹キネマに入社、映画や文芸座、春秋座に出演した。晩年は日本音楽史研究に専念し、著書に「日本音楽史考」(未完)がある。早稲田大学校歌「都の西北」の作曲者としても知られる。

没年月日
大正14年 2月4日 (1925年)

家族
父=東儀 季芳(雅楽師)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「東儀 鉄笛」の解説

東儀 鉄笛
トウギ テッテキ

明治・大正期の俳優,雅楽師



生年
明治2年6月16日(1869年)

没年
大正14(1925)年2月4日

出生地
山城国愛宕郡小川中立売(京都府京都市下立売)

本名
東儀 季治(トウギ スエハル)

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)文学部中退

経歴
宮中楽人の家柄に生まれ、明治17年宮内省雅楽生となり修業、洋楽も学んで東京音楽学校講師を務める。35年坪内逍遙の易風会に加わり、39年には同じく逍遙の文芸協会に参加した。「ベニスの商人」のシャイロック、「ハムレット」の墓掘り、「マクベス」のマクベス役を得意とし、新劇の草創期に活躍した。文芸協会解散後、大正3年に土肥春曙とともに無名会を結成し帝劇「オセロー」で旗上げしたが、春曙の死後解散。6年新派劇に参加し「不如帰」の片岡中将などを演じた。11年松竹キネマに入社、映画や文芸座、春秋座に出演した。晩年は日本音楽史研究に専念し、著書に「日本音楽史考」(未完)がある。早大校歌「都の西北」の作曲者としても知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「東儀 鉄笛」の解説

東儀 鉄笛 (とうぎ てってき)

生年月日:1869年6月16日
明治時代;大正時代の俳優;音楽家
1925年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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