東海道四谷怪談(読み)とうかいどうよつやかいだん

精選版 日本国語大辞典 「東海道四谷怪談」の意味・読み・例文・類語

とうかいどうよつやかいだん ‥ダウよつやクヮイダン【東海道四谷怪談】

歌舞伎脚本。世話物。五幕。四世鶴屋南北作。文政八年(一八二五)江戸中村座初演。塩冶家の浪人民谷伊右衛門は、師直方の伊藤喜兵衛の孫娘お梅に恋され、女房お岩を虐待して憤死させ、また家伝の薬を盗んだ小仏小平をも惨殺し、お岩の死体とともに戸板の両面にくくりつけて川へ流す。のち、二人の亡霊が伊右衛門を悩ます。怪談物代表作で、南北の最高傑作。お岩稲荷

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デジタル大辞泉 「東海道四谷怪談」の意味・読み・例文・類語

とうかいどうよつやかいだん〔トウカイダウよつやクワイダン〕【東海道四谷怪談】

歌舞伎狂言世話物。5幕。4世鶴屋南北作。文政8年(1825)江戸中村座初演。塩冶えんや家の浪人民谷伊右衛門は、仲間とともに立身のために妻お岩の毒殺をはかり、憤死させるが、その怨霊にたたられて破滅する。通称「四谷怪談」。
を原作とする、中川信夫監督による映画の題名。昭和34年(1959)公開。出演天知茂、若杉嘉津子ほか。

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改訂新版 世界大百科事典 「東海道四谷怪談」の意味・わかりやすい解説

東海道四谷怪談 (とうかいどうよつやかいだん)

歌舞伎狂言。世話物。5幕。4世鶴屋南北作。初演の絵本番付では《あづまかいどうよつやかいだん》。通称は《四谷怪談》。《いろは仮名四谷怪談》をはじめ,多くの別名題がある。1825年(文政8)7月江戸中村座初演で,一番目を《仮名手本忠臣蔵》にして2日がかりで上演した。絵本番付によれば,初日は《忠臣蔵》の大序から六段目までと《四谷怪談》の序幕から三幕目隠亡堀の場まで,2日目はふたたび隠亡堀から始めて《忠臣蔵》の七,九,十段目になり,そのあとに《四谷怪談》四,五幕が続き,最後が《忠臣蔵》十一段目(討入)となっている。お岩・小平・与茂七を3世尾上菊五郎,伊右衛門を7世市川団十郎,直助を5世松本幸四郎。

 (1)序幕(浅草境内の場,宅悦地獄宿の場,浅草裏田圃(たんぼ)の場) 高師直の家臣伊藤喜兵衛の孫娘お梅は民谷伊右衛門に恋慕している。非人になって敵の動静をうかがう塩冶浪人奥田庄三郎は回文状を喜兵衛方に奪われるが,同志の佐藤与茂七がそれを取り返す。伊右衛門は物貰いをしていた舅の四谷左門と出会い,妻のお岩を返してくれと頼むが,伊右衛門が国許で御用金を盗んだのを知っている左門ははねつける。一方,奥田庄三郎の下僕だった直助はお岩の妹で与茂七の許嫁お袖に横恋慕している。お袖と与茂七は按摩宅悦の地獄宿で再会する。伊右衛門は悪事を知る左門を殺し,直助は恋の意趣で与茂七と誤って庄三郎を殺す。親と夫の敵を討ってやるとたばかられ,お岩は伊右衛門ともとの夫婦にもどり,お袖は直助と名ばかりの夫婦となる。以後,主軸としての伊右衛門・お岩の話と副筋としての直助・お袖の話に分かれていく。(2)二幕目(雑司ヶ谷四谷町の場) 伊右衛門は内職の傘張りをしている。お岩は産後の床に臥している。小者の小仏(こぼとけ)小平は旧主の塩冶浪人小汐田又之丞のために民谷の奇薬ソウキセイを盗んで捕らえられる。産婦の見舞いの礼に伊右衛門が隣家の伊藤に出かけたあと,お岩は伊藤から贈られた血の道の薬をのんで発熱し苦しみだす。手伝いの宅悦はあわてる。伊右衛門は高家への仕官を条件にお梅との縁組みを承知する。相好の変わったお岩は宅悦から真相を聞き,隣家へ恨みを言いに行くべく髪を梳(と)かすうち髪が抜け落ちて化物の顔になって死ぬ(髪梳き(かみすき))。伊右衛門は小平を殺し,お岩の死骸とともに戸板の裏表に釘付けにして川に流す。そのあとお梅と祝言し床入りするが,死霊に祟られてお梅と喜兵衛を殺す。(3)三幕目(砂村隠亡堀の場) 非人に零落した伊藤の後家お弓とお梅の乳母お槙が焚火をしている。お槙は死霊の祟りで川に引き込まれ,お弓は伊右衛門に川へ蹴落とされる。鰻搔き権兵衛になった直助と伊右衛門が出会うが,直助が退場し伊右衛門が釣をしていると戸板が流れてくる。菰をとるとお岩の死骸があらわれ恨みを述べる。戸板を裏返すと小平の死骸があらわれ〈薬を下され〉と言う。伊右衛門は,抜き打ちに死骸を切りつける(戸板返し)。このあと直助,与茂七と3人のだんまり。(4)四幕目(深川三角屋敷の場,小汐田隠れ家の場) 法乗院門前でお袖が香花を売っている。古着屋が湯灌場ものの着物(お岩の死骸に着せてあった着物)を持ってきて洗濯を頼む。お袖は宅悦からお岩の死を知らされ,敵討を頼むため直助に肌をゆるす。そのあと死んだと思っていた与茂七があらわれ,お袖はみずから2人の手にかかって死ぬ。直助はお袖と兄妹だったことを知り自害する。一方,小平の亡霊が持ってきたソウキセイで小汐田又之丞の病が癒える。(5)大詰(夢の場,蛇山庵室の場) 美しい田舎娘と伊右衛門の濡れ事。娘はお岩の亡霊となり伊右衛門を悩ます。伊右衛門は夢から覚めて狂う。お岩の亡霊は,流れ灌頂から出てきて伊右衛門を苦しめ,伊右衛門の母のお熊の喉に食いつき殺す。実父の源四郎も首をくくって死ぬ。伊右衛門は与茂七に討たれる。

 《忠臣蔵》の世界を転倒,解体させながら,巷説の,四谷左門町に住んでいた田宮の娘お岩の怨霊話や,密通した男女が戸板の裏表に釘付けされ神田川に流された話や,隠亡堀に心中者の男女の死体が流れたのを鰻搔きが引きあげた話などを取り込んでいるが,南北自身の先行作品《彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)》《阿国御前化粧鏡(けしようのすがたみ)》《謎帯一寸(なぞのおびちよつと)徳兵衛》《法懸松(けさかけまつ)成田利剣》などをふまえている。怪談劇の傑作であるが,たんなる加害(悪)・被害(善)の関係で構想された怪談劇ではない。お岩はグロテスクな顔になると同時に被害者から心のねじけた加害者に転化し,観客に恐怖とともに嫌悪感も与える。小平は忠義者だが陰気でみじめである。義士の与茂七は地獄宿に女を買いに行って許嫁のお袖と出会ってしまう。伊右衛門の悪には色悪の,直助の悪には不逞の魅力がある。小心者の宅悦にも滑稽とふてぶてしさがある。化政期(1804-30)の頽唐を反映しているといえるが,滑稽,グロテスク,残忍,悪,悲哀が重層して,封建社会の崩壊期を生きる下層社会の,鬱積し沈殿したエネルギーを陰画的に舞台化している。お岩の相好が変わっていくとき,その背景にうっとうしい赤子の泣き声を配するなど,怪談と日常的な生活空間が綯交ぜ(ないまぜ)になって,底の深い生世話の怪談劇になっている。

 〈首が飛んでも動いて見せるわ〉のせりふで知られる《いろは仮名四谷怪談》は,初演の翌年(1826)菊五郎が大坂浅尾与三郎座(角の芝居)で上演したもので,上方ふうに改修補綴されたものである。早替りや,〈髪梳き〉〈戸板返し〉などの仕掛けも,大きい役割を果たしているが,お岩の〈提灯抜け〉のケレンは初演時にはなく,1831年(天保2)8月,市村座上演のときからである。また,配役の都合で演出が変わるということもあった。3世尾上菊五郎は生涯にお岩を9回も演じ,以後,音羽屋の家の芸として伝えられている。近年,映画や新劇でも取りあげられている。
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日本映画には〈怪談映画〉とも呼ぶべきジャンルがあり,ことに夏期興行には欠かせぬものとして〈お化け映画〉が多種多様にスクリーン上に現れ,なかでも鶴屋南北の《東海道四谷怪談》を原作とする〈四谷怪談〉映画は,その代表作として数多くつくられてきた。1910年の横田商会作品《お岩稲荷》が記録に現れる最古のもので,これが〈四谷怪談〉映画の最初と思われ,翌11年の吉沢商店作品《四谷怪談》がそれにつづく。さらに12年には,日本最初の映画監督と映画スターである牧野省三・尾上松之助の《四つ谷怪談》が日活でつくられ,以後,〈四谷怪談〉映画は続出する。著名なものは五月信子主演《四谷怪談》(1925)や鈴木澄子主演《いろは仮名・四谷怪談》(1927)で,〈怪談女優〉〈化け猫女優〉の異名をとった鈴木澄子は4度もお岩役を演じ,その4作目である木藤茂監督の新興キネマ作品《いろは仮名・四谷怪談》(1937)は,〈四谷怪談〉映画のトーキー第1作となった。第2次世界大戦後,それまでの一種きわものめく作品のあり方から脱して,まず松竹作品《四谷怪談》二部作(1949)が木下恵介の監督,上原謙の民谷伊右衛門,田中絹代のお岩役で近代的解釈のもとにつくられ,やがて中川信夫監督の新東宝作品《東海道四谷怪談》(1959)が,きわもの性と現代性とを独自の映画的な美のうちにとかし込んだ傑作として登場した。天知茂の民谷伊右衛門,若杉嘉津子のお岩によるもので,鶴屋南北の原作題名どおりの唯一の映画と思われ,同時に公開された三隅研次監督,長谷川一夫,中田康子主演の大映作品《四谷怪談》とともに,〈四谷怪談〉映画のカラー・ワイド第1作である。つづいて加藤泰監督の東映作品《怪談お岩の亡霊》(1961)が,若山富三郎の民谷伊右衛門,藤代佳子のお岩役で,市井の人間悲劇をリアリズムで描いた。このほか戦後の作品に,豊田四郎監督,岡田茉莉子主演《四谷怪談》(1965),森一生監督,稲野和子主演《四谷怪談・お岩の亡霊》(1969)などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東海道四谷怪談」の意味・わかりやすい解説

東海道四谷怪談
とうかいどうよつやかいだん

歌舞伎(かぶき)脚本。世話物。5幕。通称「四谷怪談」。4世鶴屋南北(なんぼく)作。1825年(文政8)7月江戸・中村座で、3世尾上(おのえ)菊五郎のお岩・小平(こへい)・与茂七(よもしち)、7世市川団十郎の伊右衛門(いえもん)、5世松本幸四郎の直助権兵衛(なおすけごんべえ)らにより初演。別名題(なだい)『いろは仮名四谷怪談』『形見草(かたみぐさ)四谷怪談』など。江戸四谷左門町に寛文(かんぶん)(1661~73)ごろから伝わる田宮家の怨霊(おんりょう)話や、密通のため戸板に釘(くぎ)付けされた男女の死体が神田川に浮かんだという話、主(しゅ)殺しの罪で同日に処刑された直助と権兵衛の話、姦婦(かんぷ)に謀殺された俳優小平次の話など、巷談(こうだん)と実話を取り混ぜ、読本(よみほん)の『近世怪談霜夜星(しもよのほし)』や作者の旧作から趣向を生かして脚色。初演のとき『仮名手本忠臣蔵』の二番目狂言として上演されたので、「忠臣蔵」の世界で書かれている。

 序幕―塩冶(えんや)家浪人民谷伊右衛門は、妻お岩の父四谷左門を浅草田圃(たんぼ)で殺し、お岩の妹お袖(そで)に横恋慕する薬売り直助は、お袖の夫佐藤与茂七を討とうとして、同じ場所で人違いの奥田庄三郎(しょうざぶろう)を殺す。2幕目(伊右衛門浪宅)―民谷の隣家に住む高師直(こうのもろなお)の重役伊藤喜兵衛は、伊右衛門に懸想した孫娘お梅の恋をかなえようと、お岩に毒薬を贈り、ために容貌(ようぼう)の醜く変わったお岩は按摩(あんま)宅悦(たくえつ)に事情を知らされて憤死。伊右衛門は、旧主の病気を治したさに秘蔵の薬を盗んだ下男小仏(こぼとけ)小平を殺し、お岩と小平の死骸(しがい)を戸板の表裏に釘付けにして川へ流し、お梅と祝言するが、2人の怨霊にたたられ、お梅も喜兵衛も殺してしまう。3幕目(砂村隠亡堀(すなむらおんぼうぼり))―伊右衛門が釣りをしていると、覚えの戸板が流れ着き、お岩と小平の亡霊がこもごも恨みを述べる。4幕目(深川三角(さんかく)屋敷)―お袖は鰻(うなぎ)かき権兵衛と改名した直助と名目だけの夫婦になっていたが、父・夫・姉の仇(かたき)を討ってもらいたさ、ついに直助の自由になると、死んだはずの与茂七が訪れるので、身を恥じて直助・与茂七と同時に手引きし、2人の手にかかって死ぬ。直助は、お袖が実の妹であり、人違いで殺したのが旧主の子庄三郎だったことを知り、因果におびえて自殺する。大詰(蛍狩(ほたるがり)・蛇山庵室(へびやまあんしつ))―伊右衛門はお岩の亡霊にさんざん悩まされたすえ、与茂七に討たれる。

 怪談狂言の代表作というばかりでなく、江戸後期の下層社会の世相と人間の心理を鮮やかに描いた傑作で、南北の名を不朽にしたもの。お岩の役は尾上家の家の芸として、3世から5世の菊五郎、6世尾上梅幸(ばいこう)へ継承され、「浪宅」で髪の毛が抜けて変貌する「髪梳(かみす)き」の手順や、「隠亡堀」の怪異な戸板返しが鮮やかな世話だんまりに一変する手法、「蛇山」で幽霊の出没する仕掛けなど、演出が洗練された。第二次世界大戦後は新劇や前衛演劇でも上演されている。

[松井俊諭]

『郡司正勝校注『新潮日本古典集成 東海道四谷怪談』(1981・新潮社)』『河竹繁俊校訂『東海道四谷怪談』(岩波文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東海道四谷怪談」の意味・わかりやすい解説

東海道四谷怪談
とうかいどうよつやかいだん

江戸時代後期の歌舞伎狂言。世話物。5幕 11場。4世鶴屋南北作。文政8 (1825) 年江戸中村座初演。怪談物の代表作。寛文年間 (1661~73) 四谷左門町に住んでいた田宮又左衛門の娘お岩が嫉妬によってたたりをなしたという巷説などを素材としたもの。『仮名手本忠臣蔵』の世界を借り,また南北自身の前作『謎帯一寸徳兵衛 (なぞのおびちょっととくべえ) 』などの趣向を取入れている。お岩が夫の伊右衛門に毒薬を飲まされて次第に容貌がくずれてゆく「髪すき」の場面や,伊右衛門に殺された小仏小平とお岩の死体が戸板にはりつけられて堀からあがる「砂村隠亡堀」の場などが凄惨さで名高い。

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百科事典マイペディア 「東海道四谷怪談」の意味・わかりやすい解説

東海道四谷怪談【とうかいどうよつやかいだん】

歌舞伎劇。4世鶴屋南北作。1825年初演。通称《四谷怪談》。江戸四谷に住む浪人民谷(たみや)伊右衛門の女房お岩が,夫の不実に憤死,亡霊となって祟(たたり)をしたという巷説(こうせつ)をもとに,複雑な因縁をからませたもの。怪談劇の代表作で,当時の下層社会を活写した世話物の傑作。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「東海道四谷怪談」の解説

東海道四谷怪談
とうかいどうよつやかいだん

歌舞伎狂言。4世鶴屋南北作。1825年(文政8)7月江戸中村座初演。四谷左門の姉娘お岩と民谷伊右衛門,妹娘お袖と直助の二組の夫婦の破滅を描く。毒薬を飲まされて相好が変わったお岩の髪梳(かみすき)の場面や,戸板の裏表にお岩と小平の死骸が釘付けにされ隠亡堀に流れついて口をきく場面は有名。「忠臣蔵」の世界にお岩の怨霊(おんりょう)話や直助権兵衛の実説などをとりいれた生世話(きぜわ)物の代表。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「東海道四谷怪談」の解説

東海道四谷怪談
とうかいどう よつやかいだん

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
鶴屋南北(4代) ほか
補作者
高松錦助 ほか
初演
文政8.7(江戸・中村座)

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旺文社日本史事典 三訂版 「東海道四谷怪談」の解説

東海道四谷怪談
とうかいどうよつやかいだん

江戸後期,4代鶴屋南北の歌舞伎脚本
1825年江戸中村座で初演。5幕。江戸四谷の女房お岩が,不義をしたうえに自分を毒殺した夫の民谷伊右衛門に亡霊となって報復する話。怪談物の代表作。

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世界大百科事典(旧版)内の東海道四谷怪談の言及

【怪談】より

…上方では4世市川小団次・市川斎入(さいにゆう)(右団次)系の亡霊の芸が残された。著名な怪談物には《東海道四谷怪談》,《彩入御伽艸(いろえいりおとぎぞうし)》(小幡小平次),《実成金菊月(みのりよしこがねのきくづき)》(皿屋敷),《東山桜荘子(ひがしやまさくらそうし)》(佐倉宗吾)などがある。怪談物の眼目の一つにはケレン(トリック)の演出があり,観客の意表をつく仕掛物や早替りの技術が発達した。…

【生世話】より

…南北の生世話は写実に終始するものではなく,時代物的な様式性をも併せ持つ世界である。生世話たる《東海道四谷怪談》は,〈忠臣蔵〉という時代物の世界にお岩・伊右衛門の〈四谷怪談〉をないまぜて構成されており,時代世話混淆の重層構造を持っている。このように筋がからみ合う複雑な仕組(しぐみ)を駆使して,現実の実相を鋭く描き出してみせるところに南北の生世話の真骨頂があるといえる。…

【ケレン】より

…初期の若衆歌舞伎時代に見世物芸との提携がなされて以来,元禄歌舞伎をはじめ,いつの時代にも写生的な演技の一方に,この種の演技・演出が行われてきた。《東海道四谷怪談》における〈仏壇返し〉〈提灯抜け〉〈戸板返し〉,《義経千本桜》河連法眼館の場の〈階段の打返し〉〈高欄渡り〉〈欄間抜け〉などといった演出は,幽霊や狐の演技として効果をあげている。とくに大道具に見世物的な仕掛物を見せる意図が強く,それに役者の演技としての〈綱渡り〉や〈宙乗り〉などが加わってケレン芝居が生まれる。…

※「東海道四谷怪談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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