新撰 芸能人物事典 明治~平成 「杵屋 佐吉(4代目)」の解説
杵屋 佐吉(4代目)
キネヤ サキチ
- 職業
- 長唄三味線方
- 肩書
- 杵佐派家元,長唄協会会長
- 本名
- 武藤 良二(ムトウ リョウジ)
- 別名
- 前名=杵屋 良二,杵屋 浅吉(3代目)
- 生年月日
- 明治17年 9月17日
- 出生地
- 東京府 浅草区浅草七軒町(東京都台東区)
- 経歴
- 父は勤め人で、母は3代目杵屋佐吉の三女である初代杵屋佐喜。兄一人、妹二人の四人兄妹の二男として生まれる。明治27年祖父の門弟である杵屋佐喜次について初めて長唄修業をし、3代目杵屋勝三郎、9代目杵屋六三郎、6代目芳村伊三郎らに師事した。28年2代目宝山左衛門の手引きにより本名の良二で新富座の囃子部屋に入る。32年3代目杵屋浅吉を名乗り、37年立三味線に昇進。40年4代目杵屋佐吉を襲名。28歳で明治座の囃子頭に推された。一時は新富座、本郷座の囃子頭も兼ねた。大正元年福原俊丸男爵の後援により長唄演奏会・芙蓉会を主宰、長く作品発表の舞台とし、5年より本格的に作曲を開始。大正8年従来の長唄を脱して、三味線を主奏とする器楽曲“三絃主奏楽”を創始し、第1作である「隅田川四季」を発表。唄をはずして楽器だけで表現をするという発想は邦楽作曲における一里塚となり、「まつり」「行進曲」「雪」など多くの作品を遺した。13年には“三絃歌謡曲”として「峠のわかれ」「少女若かれ」「踊ろうよ」の3曲を発表、昭和8年からは“芙蓉曲”と改称。同じく大正13年、童謡運動の波に乗って“三絃童謡”も初めて発表している。昭和12年には芝居風のセリフを取り入れた“新長唄”を発表するなど、邦楽の革新に大きく貢献した。また楽器改良にも努め、電気三味線、低音三味線(セロ三味線)、コントラバスに当たる大三味線(豪絃)などを作っている。大正15年文部省嘱託として妻の杵屋増子と欧米を外遊した。長唄協会の設立にも力を尽くし、同会長も務めた。他の作品に「水」「二つ巴」「五月雨」「伊勢参宮」「山伏摂侍」「潯陽江」「夢殿」「小鍛冶」「黒塚」などがある。
- 没年月日
- 昭和20年 12月13日 (1945年)
- 家族
- 妻=杵屋 増子,長男=杵屋 佐吉(5代目),母=杵屋 佐喜(初代),祖父=杵屋 佐吉(3代目),孫=杵屋 佐吉(7代目)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報