松坂屋(読み)まつざかや

改訂新版 世界大百科事典 「松坂屋」の意味・わかりやすい解説

松坂屋[株] (まつざかや)

名古屋を本拠とする大手百貨店。本社名古屋市中区。織田信長の臣伊藤蘭丸祐広の息源左衛門祐道が,1611年(慶長16)名古屋本町で創業した呉服小間物問屋の伊藤屋いとう呉服店に始まる。万治年中(1658-61)子の次郎左衛門祐基が茶屋町で営業を再開。その後,小売への転換,〈現金売り掛け値なし〉の新商法の実行など時勢に即した経営方針を打ち出し,民衆の支持を受けた。1745年(延享2)京都仕入店を新設し,68年(明和5)江戸上野松坂屋を買収,1805年(文化2)大伝馬町木綿問屋開店した。幕末には尾張藩用達商人の首座三家衆となった。維新時には武士没落にともなう売上げの減少,政府の旧藩債償還の遅延で苦境に陥ったが,よく克服し,75年大阪店を開業した。1907年上野店で商品陳列式と女店員の採用に踏み切った祐民は,10年名古屋で関西府県連合共進会が開催されるのを機に都心の栄町進出し,(株)いとう呉服店に改組し,近代的百貨店へ脱皮した。株式会社組織となったのは三越に次いで2番目である。25年全店の名称を松坂屋に統一した。

 現在は東京銀座店(1924開設),大阪店(1923開設)など8店舗をもつまでに成長した。また,1970年には大丸と商品の共同仕入れなどの業務提携を行った。資本金98億円(2005年9月),売上高3458億円(2005年2月期)。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「松坂屋」の意味・わかりやすい解説

松坂屋
まつざかや

百貨店。慶長16(1611)年織田信長の家臣伊藤蘭丸祐道が名古屋に開いた,いとう呉服店を前身とする。明和5(1768)年松坂屋利兵衛が江戸上野に営む呉服店の松坂屋を吸収,いとう松坂屋として江戸に進出。1907年合資会社松坂屋いとう呉服店に改組,1910年株式会社いとう呉服店に改組して,名古屋に新店舗を開店。1925年社名を松坂屋に変更。1970年には大丸と商品共同仕入れ,商品券の共同利用で提携した。2006年,持株会社として松坂屋ホールディングスを設立。2007年松坂屋ホールディングスが大丸と経営統合して新たに設立した共同持株会社 J.フロントリテイリングの傘下に入る。2010年大丸と合併し,社名を大丸松坂屋百貨店に変更した。

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世界大百科事典(旧版)内の松坂屋の言及

【織物】より

…1626年(寛永3)以来しばしば出された風俗矯正や衣服に対する奢侈禁制に関する法度や町触は,消費生活が贅に流れた世相をよく物語っているが,それは一方からみれば染織業界の好況を意味している。江戸本町や伝馬町に越後屋,伊豆蔵,松坂屋をはじめ大小の呉服屋,絹屋,綿屋が軒をつらねて商いを競い始めたのは,延宝~天和の時代(1670‐80年代)であった。 一枚の長着である小袖がおもな衣服となった結果,その意匠や表現技法は著しく発展した。…

※「松坂屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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