松山 英太郎(読み)マツヤマ エイタロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「松山 英太郎」の解説

松山 英太郎
マツヤマ エイタロウ


職業
俳優

本名
松山 英太郎(マツヤマ ヒデタロウ)

生年月日
昭和17年 7月9日

出身地
東京都 武蔵野市吉祥寺

学歴
大成高〔昭和35年〕中退,俳優座養成所(第12期)〔昭和38年〕卒

経歴
父は前進座の女方・5代目河原崎国太郎で、4人きょうだい(2男2女)の長男祖父松山省三洋画家、母(芸名・鈴鹿ゆみ子)は宝塚女優、弟の松山政路も俳優という芸術一家であった。昭和22年4歳10ヶ月で前進座「弁天小僧」に出演して初舞台子役として活動する一方、28年関川秀雄監督の「ひろしま」を皮切りにたびたび映画にも出演した。35年高校を中退して俳優座養成所に入所し、38年第12期生として卒業。同期中村敦夫成田三樹夫らがいた。養成所時代から森繁久弥に注目され、39年森繁主演のテレビドラマ「七人の孫」で人気を獲得し、森繁劇団の舞台にも参加。映画では「喜劇・駅前医院」「祇園祭」「トラ!トラ!トラ!」などに出演したが、その後は舞台やテレビでの仕事に重点を置き、テレビでは「時間ですよ」のようなホームドラマや「江戸を斬る」のような時代劇に出演。特にTBSの時代劇「大岡越前」では“猿(ましら)の三次”役を好演し、はまり役といわれた。52年一時プロデューサーに転身し、フジテレビ「殺人の棋譜」などを手がけたが、53年俳優に復帰。平成2年東京宝塚劇場「拝領妻始末」出演中に体調を崩し入院、食道がんと診断され、3年48歳で亡くなった。他の代表作にテレビ「太陽の丘」「だいこんの花」「凛々と」などがある。私生活では芦田伸介の一人娘と結婚したが、離婚。子どもの芦田由夏、芦田昌太郎も女優、俳優として活躍する。

没年月日
平成3年 1月11日 (1991年)

家族
娘=芦田 由夏(女優),息子=芦田 昌太郎(俳優),父=河原崎 国太郎(5代目),弟=松山 政路(俳優),祖父=松山 省三(洋画家)

親族
甥=河原崎 国太郎(6代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「松山 英太郎」の解説

松山 英太郎
マツヤマ エイタロウ

昭和期の俳優



生年
昭和17(1942)年7月9日

没年
平成3(1991)年1月11日

出身地
東京都武蔵野市吉祥寺

学歴〔年〕
大成高〔昭和35年〕中退,俳優座養成所(第12期生)〔昭和38年〕卒

経歴
前進座の女方・5代目河原崎国太郎の長男。5歳のとき前進座の「弁天小僧」で初舞台。昭和35年高校を中退して俳優座養成所に入所。39年テレビドラマ「七人の孫」で人気を得、「時間ですよ」「大岡越前」などで活躍。52年に俳優からプロデューサーに一時転進したが、53年再び俳優に復帰。森繁劇団の舞台にも出演した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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