松岡 康毅(読み)マツオカ ヤスタケ

20世紀日本人名事典 「松岡 康毅」の解説

松岡 康毅
マツオカ ヤスタケ

明治・大正期の司法官,政治家,男爵 農商務相;貴院議員(勅選);大審院検事総長;東京控訴院長;日本大学初代学長。



生年
弘化3年6月23日(1846年)

没年
大正12(1923)年9月1日

出生地
阿波国(徳島県)

別名
幼名=毅之進,号=退堂,伴鶴

経歴
明治3年徳島藩に出仕、4年司法省に入り、大録、次いで小判事、東京、神戸各裁判所長、13年司法権大書記官、庶務課長を歴任。19年欧州に出張、20年遣外中大審院判事となり、民事刑事局長、高等法院陪席裁判官を経て、23年東京控訴院長、次いで検事となり、24年大審院検事総長に就任。同年勅選貴院議員となり、以後、27年と31年内務次官2回、31年行政裁判所長官、39年第1次西園寺内閣の農商務相を務める。大正6年男爵、9年枢密顧問官。また詩文に長じ、日本法律学校(日本大学)初代学長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松岡 康毅」の解説

松岡 康毅
マツオカ ヤスタケ


肩書
農商務相,貴院議員(勅選),大審院検事総長,東京控訴院長,日本大学学長

別名
号=退堂

生年月日
弘化3年6月23日(1846年)

出身地
徳島県

経歴
明治3年徳島藩に出仕、4年司法省大録、次いで小判事、東京、神戸各裁判所長、13年司法権大書記官、庶務課長を歴任。19年欧州に出張、20年遣外中大審院判事となり、民事刑事局長、高等法院陪席裁判官を経て、23年東京控訴院長、次いで検事となり大審院検事総長に就任。24年勅選貴院議員となり、以後、内務次官2回、行政裁判長長官、39年第1次西園寺公望内閣の農商務相を務める。大正6年男爵、枢密顧問官。また詩文に長じ、日本大学学長を務めた。

没年月日
大正12年9月

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

367日誕生日大事典 「松岡 康毅」の解説

松岡 康毅 (まつおか やすたけ)

生年月日:1846年6月23日
明治時代;大正時代の法曹家;政治家。農商務大臣;貴族院議員
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android