松平 慶永(読み)マツダイラ ヨシナガ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和の解説

松平 慶永
マツダイラ ヨシナガ


肩書
民部卿,大蔵卿,福井藩主

別名
字=公寧 号=松平春嶽 礫川 通称=越前守

生年月日
文政11年9月2日(1828年)

出生地
江戸

出身地
越前国(福井県)

経歴
天保9年松平家を継ぎ福井藩主となり、藩財政再建のため天保改革を断行。嘉永6年6月黒船来航の際は、海防、攘夷を主張。安政5年勅許なしの日米通商条約の調印に反対、橋本左内を京都に送り、開国論を展開させる。また将軍継嗣問題では一橋慶喜の擁立で橋本左内らを活躍させたため、大老井伊直弼により謹慎処分をうける。文久2年一橋慶喜が将軍後見職になると政事総裁職に任命され、幕政改革を進めた。8月18日の政変後、朝儀参与となり一時京都守護職となる。慶応3年山内豊信、伊達宗城、島津久光らと四侯会議を開き、長州処分と兵庫開港を決め、大政奉還・王政復古には自重論を説く。明治政府成立後、議定、内国事務総督、民部卿、大蔵卿を歴任。3年一切の公職を辞し、その後20年間「逸事史補」など多くの著述に専念した。「松平春嶽全集」(全4巻)がある。

没年月日
明治23年6月2日

家族
父=田安 斉匡 息子=松平 慶民(宮内大臣・子爵) 徳川 義親(貴院議員・侯爵)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

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