松方 正義(読み)マツカタ マサヨシ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松方 正義」の解説

松方 正義
マツカタ マサヨシ


肩書
第4・6代首相,蔵相,枢密顧問官,内大臣,元老

別名
幼名=金次郎 前名=助左衛門 号=海東 孤立

生年月日
天保6年2月25日(1835年)

出生地
薩摩国鹿児島(鹿児島県鹿児島市)

経歴
島津久光の小姓として公武合体運動や討幕運動に関係し、禁門の変や長州攻略に参加後、日田県知事、民部大丞などを経て大蔵省に入り、権大丞、大蔵大輔、勧業頭など財政関係の役職を続け、明治13年内務卿に就任。14年の政変後に大蔵卿となり、18年から31年1月まで約13年間連続して初代の蔵相を務める。その間、2度にわたって首相を兼任しながら、地祖改正や殖産興業政策を強力に推進し、紙幣兌換を断行するなど、近代日本の資本主義国化に必要な財政諸制度、銀行創立を含めた金融システムづくりのすべてに関与、主管し、“松方財政”と呼ばれる足跡を残した。しかし、24年に発足した第1次松方内閣は軍事予算削減などで閣内の意見調整ができず、不統一のため瓦解。また日清戦争のあとの29年に成立した第2次内閣も、せっかく抱きこんだ進歩党党首、大隈重信外相と対立、政党側の間をまとめることができず総辞職した。明治、大正天皇信任が厚く、後に枢密顧問官、内大臣として側近に仕え元老として重きをなした。日本赤十字社長も務め、没後国葬が営まれた。

没年月日
大正13年7月2日

家族
長男=松方 巌(銀行家) 三男=松方 幸次郎(実業家・美術蒐集家) 十三男=松方 三郎(登山家・ジャーナリスト)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「松方 正義」の解説

松方 正義
マツカタ マサヨシ

江戸時代末期・明治期の政治家,財政家,公爵 首相;蔵相;枢密顧問官;内大臣;元老。



生年
天保6年2月25日(1835年)

没年
大正13(1924)年7月2日

出生地
薩摩国鹿児島(鹿児島県鹿児島市)

別名
幼名=金次郎,前名=助左衛門,号=海東,孤立

経歴
島津久光の小姓として公武合体運動や討幕運動に関係し、禁門の変や長州攻略に参加後、日田県知事、民部大丞などを経て大蔵省に入り、権大丞、大蔵大輔、勧業頭など財政関係の役職を続け、明治13年内務卿に就任。14年の政変後に大蔵卿となり、18年から31年1月まで約13年間連続して初代の蔵相を務める。その間、2度にわたって首相を兼任しながら、地祖改正や殖産興業政策を強力に推進し、紙幣兌換を断行するなど、近代日本の資本主義国化に必要な財政諸制度、銀行創立を含めた金融システムづくりのすべてに関与、主管し、“松方財政”と呼ばれる足跡を残した。しかし、24年に発足した第1次松方内閣は軍事予算削減などで閣内の意見調整ができず、不統一のため瓦解。また日清戦争のあとの29年に成立した第2次内閣も、せっかく抱きこんだ進歩党の党首、大隈重信外相と対立、政党側の間をまとめることができず総辞職した。明治、大正天皇の信任が厚く、後に枢密顧問官、内大臣として側近に仕え元老として重きをなした。日本赤十字社長も務め、没後は国葬が営まれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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