松野 鶴平(読み)マツノ ツルヘイ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「松野 鶴平」の解説

松野 鶴平
マツノ ツルヘイ


肩書
参院議長,鉄道相,衆院議員

生年月日
明治16年12月22日

出生地
熊本県菊鹿町

学歴
城北学館中退

経歴
地方政界を経て大正9年以来、戦前の衆院議員に連続7回当選し、政友会鳩山派に所属して内務政務次官、政友会幹事長、米内内閣の鉄道相などを歴任。この間、昭和7年の総選挙では選挙参謀をつとめたが、466議席中政友会議員304人を当選させて“選挙の神様”といわれた。戦後は日本自由党の結成に参加して党総務となり、21年5月に鳩山一郎総裁が公職追放となったため、後任吉田茂を推して拒まれると、深夜に塀を乗り越えて吉田に面会し、“金のことでは迷惑はかけぬ”とくどき落としたというエピソードの持ち主で、自らも追放中の身ながらキングメーカーとして吉田政治に関与。解除後の27年に参院議員当選、31年には議長となって吉田ワンマン体制を支えたが、同年6月新教育委員会法案の採決の際は、混乱状態の参院本会議場に警官隊を導入、議会史に暗い記録を残した。寝業師として知られ、この間、吉田派と鳩山派の抗争では仲裁役をつとめて30年の保守合同への橋渡しをするなど、戦後政治のプロデューサーでもあった。

没年月日
昭和37年10月18日

家族
三男=松野 頼三(衆院議員) 孫=松野 頼久(衆院議員)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「松野 鶴平」の解説

松野 鶴平
マツノ ツルヘイ

大正・昭和期の政治家 参院議長;鉄道相;衆院議員。



生年
明治16(1883)年12月22日

没年
昭和37(1962)年10月18日

出生地
熊本県菊鹿町

学歴〔年〕
城北学館中退

経歴
地方政界を経て大正9年以来、戦前の衆院議員に連続7回当選し、政友会鳩山派に所属して内務政務次官、政友会幹事長、米内内閣の鉄道相などを歴任。この間、昭和7年の総選挙では選挙参謀を務めたが、466議席中政友会議員304人を当選させて“選挙の神様”といわれた。戦後は日本自由党の結成に参加して党総務となり、21年5月に鳩山一郎総裁が公職追放となったため、後任に吉田茂を推して拒まれると、深夜に塀を乗り越えて吉田に面会し、“金のことでは迷惑はかけぬ”とくどき落としたというエピソードの持ち主で、自らも追放中の身ながらキングメーカーとして吉田政治に関与。解除後の27年に参院議員当選、31年には議長となって吉田ワンマン体制を支えたが、同年6月新教育委員会法案の採決の際は、混乱状態の参院本会議場に警官隊を導入、議会史に暗い記録を残した。寝業師として知られ、この間、吉田派と鳩山派の抗争では仲裁役をつとめて30年の保守合同への橋渡しをするなど、戦後政治のプロデューサーでもあった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「松野 鶴平」の解説

松野 鶴平 (まつの つるへい)

生年月日:1883年12月22日
大正時代;昭和時代の政治家。衆議院議員;参議院議長
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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