20世紀日本人名事典 「林 忠彦」の解説
林 忠彦
ハヤシ タダヒコ
昭和期の写真家 日本写真学園校長。
- 生年
- 大正7(1918)年3月5日
- 没年
- 平成2(1990)年12月18日
- 出生地
- 山口県徳山市
- 学歴〔年〕
- 徳山商〔昭和10年〕卒,オリエンタル写真学校〔昭和12年〕卒
- 主な受賞名〔年〕
- 日本写真協会賞(年度賞 第21回)〔昭和46年〕「日本の作家」,毎日芸術賞(第20回)〔昭和53年〕,日本写真協会賞(年度賞 第29回)〔昭和54年〕,紫綬褒章〔昭和57年〕,日本写真協会賞(功労賞 第38回)〔昭和63年〕,勲四等旭日小綬章
- 経歴
- 祖父の代から写真屋。上京してオリエンタル写真学校で学ぶ。昭和14年東京光芸社に入社。戦時中は北京の華北広報写真協会理事。復員後、21年秋山庄太郎らとフォトグループ・銀竜社を結成。敗戦後のいわゆるカストリ雑誌全盛時代、銀座の酒場“ルパン”に出入りして作家織田作之助、太宰治、田中英光、坂口安吾などの特異な姿態を撮り、写真家としての地位を築く。46年それらを写真集「日本の作家」として刊行。以後、「日本の経営者100人」「日本の画家108人」「日本の家元」など人物を対象にした写真集を発表。この間、28年には二科会に写真部を設け、アマチュア写真家の育成にも注力した。61年肝臓がんを宣告され、63年脳出血で倒れたが、リハビリを経て車イスで東海道シリーズを撮り「日本カメラ」に連載、平成2年「林忠彦写真集東海道」を刊行。他の写真集に「カストリ時代」「カラー日本百景」「長崎―海と十字架」「文士の時代」などがある。亡後、業績を記念して林忠彦賞が創設された。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報