林有造(読み)はやしゆうぞう

精選版 日本国語大辞典 「林有造」の意味・読み・例文・類語

はやし‐ゆうぞう【林有造】

政治家。旧土佐藩士。板垣退助・片岡健吉らと立志社設立し、自由民権運動活躍大隈内閣の逓信相、伊藤内閣の農商務相を歴任した。天保一三~大正一〇年(一八四二‐一九二一

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デジタル大辞泉 「林有造」の意味・読み・例文・類語

はやし‐ゆうぞう〔‐イウザウ〕【林有造】

[1842~1921]政治家。高知の生まれ。板垣退助らと立志社を創立。西南戦争では武器購入に奔走したが、発覚して投獄。国会開設後、衆議院議員逓相・農商務相を歴任。自由党政友会に所属。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「林有造」の意味・わかりやすい解説

林有造
はやしゆうぞう
(1842―1921)

明治時代の政治家。土佐藩士。天保(てんぽう)13年8月10日土佐国幡多(はた)郡宿毛(すくも)(高知県宿毛市)に生まれる。岩村通俊(みちとし)の弟で、林家の養子となる。倒幕運動に参加し、1869年(明治2)高知藩参事となり、翌1870年政府の命で渡欧し、1873年外務省に出仕。この年征韓論に敗れて下野した板垣退助(いたがきたいすけ)に従い辞職。1874年4月土佐立志(りっし)社設立に参画し、1877年西南戦争に際し西郷(さいごう)軍に加担しようとして逮捕され、翌1878年8月禁獄10年の刑に処せられ1886年出獄。1887年三大事件建白運動に参加したため保安条例で東京を追われる。1890年高知県から衆議院議員に当選。1898年逓相、1900年(明治33)農商務相となり、1902年千葉県から代議士に当選し立憲政友会総務委員となるが、党内抗争で脱党。1908年政界を引き、余生を高知に送る。1914年(大正3)宿毛で真円真珠の養殖業を始めるなど、郷里の発展に尽力した。大正10年12月29日死去。

[後藤 靖]

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朝日日本歴史人物事典 「林有造」の解説

林有造

没年:大正10.12.29(1921)
生年:天保13.8.17(1842.9.21)
明治期の政治家。土佐国幡多郡宿毛村(高知県宿毛市)に土佐藩家老伊賀氏家臣の次男として生まれる。兄に岩村通俊,弟に岩村高俊が,縁戚に竹内綱がいる。林茂次平の養子。戊辰戦争で北越・陸羽に転戦。明治3(1870)年欧州軍事視察。帰国後4年高知藩少参事,同権大参事,廃藩置県後高知県参事。5年外務省に出仕,6年征韓論政変で辞職。板垣退助に従い帰郷,高知に立志社を設立。8年大阪会議に板垣の参議復帰を支持。西南戦争(1877)が勃発すると大江卓らと挙兵を企図,武器の調達に奔走したが発覚,11年8月禁獄10年の判決で岩手監獄に禁獄。17年仮出獄して政界復帰,自由党解党を支持。20年後藤象二郎を助けて大同団結運動,三大事件建白運動を指導,同年12月保安条例発令で東京退去を命じられ帰郷,宿毛新田開発や北海道小樽築港事業に関与。22年憲法発布の大赦で追放解除,第1回衆院議員総選挙に高知県から当選,以後1回を除き,41年の政界引退まで連続当選。この間,自由党土佐派の重鎮として活躍,31年第1次大隈(隈板)内閣逓相,33年政友会結成の総務委員,第4次伊藤内閣農商務相を歴任。<著作>『林有造・旧夢談』(『明治文化全集』雑史編)<参考文献>田中貢太郎『林有造伝』

(福地惇)

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百科事典マイペディア 「林有造」の意味・わかりやすい解説

林有造【はやしゆうぞう】

明治の政治家。土佐(とさ)高知藩家老の子。尊攘派志士として活躍。維新後は外務省などに出仕したが,1873年征韓論に敗れて下野し,以後自由民権運動に参加。西南戦争の際,武器購入を企て事前に発覚して投獄。出獄後,三大事件建白運動に参加,1890年愛国公党の設立に参画。第1回選挙に当選し,立憲自由党幹部。1900年立憲政友会に参加し党総務委員,農商務相を歴任。党内対立により脱党し,1908年政界を去る。

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改訂新版 世界大百科事典 「林有造」の意味・わかりやすい解説

林有造 (はやしゆうぞう)
生没年:1842-1921(天保13-大正10)

明治期の政治家。土佐国宿毛(すくも)に生まれる。初代北海道長官岩村通俊の弟。尊王攘夷運動に参加し,維新後は高知藩参事,外務省出仕をつとめたが,1873年征韓論に同調して辞職し,立志社の結成に参加。77年西南戦争で西郷軍に呼応すべく武器購入を策し,逮捕投獄された。84年保釈出獄。三大事件建白運動に参加して保安条例で東京より追放される。90年第1回総選挙に当選して自由党に所属。98年第1次大隈重信内閣の逓信大臣に就任し,1900年には立憲政友会の結成に参加。同年10月第4次伊藤博文内閣の農商務大臣となった。党内対立のため脱党し,08年政界から引退。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林有造」の解説

林有造 はやし-ゆうぞう

1842-1921 明治時代の政治家。
天保(てんぽう)13年8月17日生まれ。岩村通俊の弟。岩村高俊の兄。外務省につとめ,征韓論政変で辞職。自由民権運動にくわわり,明治23年衆議院議員(当選8回,政友会)。第1次大隈(隈板(わいはん))内閣の逓信相,第4次伊藤内閣の農商務相となった。大正10年12月29日死去。80歳。土佐(高知県)出身。

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旺文社日本史事典 三訂版 「林有造」の解説

林有造
はやしゆうぞう

1842〜1921
明治・大正時代の政治家
土佐藩出身。征韓論に敗れて下野し,板垣退助らと立志社を結成。西南戦争に高知で呼応して投獄され,出獄後愛国公党をおこす。1887年には三大事件建白で政府と対抗,保安条例違反に問われた。のち衆議院議員に9回連続当選し,逓相・農商務相などを歴任した。

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世界大百科事典(旧版)内の林有造の言及

【怪談】より

…幕末,三遊亭円朝も怪談噺に,《真景累ケ淵》《怪談牡丹灯籠》《鏡ケ池操松影(みさおのまつかげ)(江島屋騒動)》《怪談乳房榎》などを自作自演して人気を博した。近代にはいっては,春錦亭柳桜(しゆんきんていりゆうおう)(?‐1894),5代目林家正蔵が著名だが,最近では,7代目一竜斎貞山や林家彦六(8代目林家正蔵)が,しばしば口演して注目をあつめた。現在では,わずかに一竜斎貞水が孤塁を守っている。…

【落語】より

… 昭和落語の全盛期は,第2次大戦後,民間放送発足後におとずれた。軽妙な3代春風亭柳好(りゆうこう)(1889‐1956),明快な弁舌の3代三遊亭金馬,粋な3代桂三木助,近代落語の巨星8代桂文楽,独特の名人芸の5代古今亭志ん生,持ちネタの数と至芸を誇った6代三遊亭円生,人情噺,芝居噺の名手林家彦六(8代林家正蔵),新作の闘将5代古今亭今輔(いますけ)(1898‐1976)などが黄金時代を形成した。 1985年現在の東京には,〈落語協会〉に,滑稽噺の名手5代柳家小さん,新作の3代三遊亭円歌(1929‐ ),繊細で粋な2代古今亭志ん朝(1938‐ ),滑稽噺の人気者8代橘家円蔵(1934‐ ),飄逸な個性の10代柳家小三治(1939‐ )らがおり,〈芸術協会〉に,明朗な新作の4代桂米丸(よねまる)(1925‐ ),飄々たる妙味の新作の3代春風亭柳昇(1920‐ ),滑稽噺の10代桂文治らがおり,ほかに5代三遊亭円楽(1933‐ )一門,5代立川談志(1936‐ )一門などがあるが,志ん生,文楽などを筆頭にした名人上手の消えた穴は大きい。…

※「林有造」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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