林広守(読み)ハヤシヒロモリ

デジタル大辞泉 「林広守」の意味・読み・例文・類語

はやし‐ひろもり【林広守】

[1831~1896]雅楽家。大坂の生まれ。しょう名手で、製作もよくした。宮内省雅楽局伶人長として奥好義おくよしいさ・林広季の合作君が代」を完成

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精選版 日本国語大辞典 「林広守」の意味・読み・例文・類語

はやし‐ひろもり【林広守】

雅楽の伶人(れいじん)。大阪天王寺の楽人で、笙(しょう)右舞を学ぶ。のち東上して宮内省雅楽局に出仕し、大伶人となる。明治一三年(一八八〇国歌制定委員となり、国歌「君が代」の作曲監督完成した。天保二~明治二九年(一八三一‐九六

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「林広守」の意味・わかりやすい解説

林広守
はやしひろもり
(1831―1896)

江戸末期から明治の雅楽家。笙(しょう)と右舞(うまい)を専門とする天王寺方(てんのうじかた)林家の、林広倫(ひろみち)の三男として大坂に生まれる。幼名栄之助。林広就(ひろなる)の養子となり、広金といったが広守と改名。笙の名手で、35歳のとき三方及第会(きゅうだいえ)という権威ある技術査定で満票を得たほどであった。1870年(明治3)東京に雅楽局が開設されると大伶人(たいれいじん)に任ぜられ、のち伶人長となる。84年には雅楽師副長、88年には雅楽部副長を歴任、93年に退官した。国歌『君が代』は、彼が伶人長のときの作曲として有名である。

[橋本曜子]

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朝日日本歴史人物事典 「林広守」の解説

林広守

没年:明治29.4.5(1896)
生年:天保2.11.25(1831.12.28)
幕末明治期の雅楽奏者。大坂四天王寺所属の楽家の出。天保12(1841)年より宮廷行事にも出仕。専門の笙だけでなく,舞,琵琶,笛,篳篥にも精通し,くわえて笙の簧の製作にも腕を振るった。慶応1(1865)年の上芸試験では,満点をかちえたほどの優秀な成績であった。明治新政府成立により明治2(1869)年東上し,26年の退官まで,雅楽局の大伶人として,伝承教習曲の選定,雅楽譜の作成,欧州楽の受容などにおいて,常に指導的立場にあった。「君が代」の選定者と目されている。<参考文献>田辺尚雄『明治音楽物語』

(蒲生美津子)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「林広守」の解説

林広守 はやし-ひろもり

1831-1896 幕末-明治時代の雅楽家。
天保(てんぽう)2年11月25日生まれ。笙(しょう)の製作,演奏にすぐれた。明治3年宮内省雅楽局大伶人(れいじん)(楽人),のち伶人長となる。「君が代」作曲の代表者として知られる。明治29年4月5日死去。66歳。大坂出身。幼名は栄之助。前名は広金。

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