林 権助(読み)ハヤシ ゴンスケ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「林 権助」の解説

林 権助
ハヤシ ゴンスケ


肩書
枢密顧問官,宮内省式部長官,駐英大使,駐韓国公使

生年月日
安政7年3月2日(1860年)

出生地
陸奥国若松(福島県会津若松市)

学歴
東京帝大法科卒

経歴
会津藩士の家に生まれる。明治20年外務省入り。北京公使館首席書記官から通商局長を経て、32年駐韓国公使となり、以後対韓外交の第一線で過ごし、37年の日韓議定書から日韓協約など日韓合併の基礎を作った。39年駐清国公使、41年駐伊大使を経て、大正5年駐中国公使に復し、寺内内閣が進めた対中強硬外交にも現地にあって協力した。8年関東府長官に就任、北方軍閥の援助奔走。9年駐英大使。退官後、14年宮内省御用掛となり再渡欧、留学中の秩父宮親王の補導に当たる。昭和4年宮内省式部長官、9年から枢密顧問官。著書に「わが七十年を語る」がある。

没年月日
昭和14年6月27日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「林 権助」の解説

林 権助
ハヤシ ゴンスケ

明治・大正期の外交官,男爵 枢密顧問官;宮内省式部長官;駐英大使;駐韓国公使。



生年
安政7年3月2日(1860年)

没年
昭和14(1939)年6月27日

出生地
陸奥国若松(福島県会津若松市)

学歴〔年〕
東京帝大法科卒

経歴
会津藩士の家に生まれる。明治20年外務省入り。北京公使館首席書記官から通商局長を経て、32年駐韓国公使となり、以後対韓外交の第一線で過ごし、37年の日韓議定書から日韓協約など日韓合併の基礎を作った。39年駐清国公使、41年駐伊大使を経て、大正5年駐中国公使に復し、寺内内閣が進めた対中強硬外交にも現地にあって協力した。8年関東府長官に就任、北方軍閥の援助に奔走。9年駐英大使。退官後、14年宮内省御用掛となり再渡欧、留学中の秩父宮親王の補導に当たる。昭和4年宮内省式部長官、9年から枢密顧問官。著書に「わが七十年を語る」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「林 権助」の解説

林 権助 (はやし ごんすけ)

生年月日:1860年3月2日
明治時代;大正時代の外交官。男爵
1939年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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