柳亭 痴楽(4代目)(読み)リュウテイ チラク

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「柳亭 痴楽(4代目)」の解説

柳亭 痴楽(4代目)
リュウテイ チラク


職業
落語家

本名
藤田 重雄

別名
前名=春風亭 笑好

生年月日
大正10年 5月30日

出生地
富山県

出身地
東京都 墨田区本所

経歴
豊竹歳太夫に入門して義太夫を修業した後、昭和14年落語に転向し、7代目春風亭柳枝に入門して笑好。15年師の死去にともなって5代目柳亭左楽門下に移り、16年4代目痴楽を襲名して二ツ目に昇進。20年9月東京・人形町末広亭戦後第一号の真打となる。25年当時人気絶頂にあった友人・3代目三遊亭歌笑が事故死すると、その持ちネタである「歌笑純情詩集」にヒントを得て「痴楽綴り方狂室」を噺のまくらにかけるようになり大ヒット、“破壊された顔の持ち主”“綴り方狂室の痴楽”として一躍人気者となった。人気は高座だけにとどまらず、昭和30年代前半から40年代にかけて「幽霊タクシー」「大学の御令嬢」「与太郎戦記」などの映画にも出演。47年自ら団長格となって米国へ渡り、現地の日系人に史上初の米国寄席を行った。のち日本芸術協会(落語芸術協会)理事長。48年下阪中に脳溢血で倒れ、入院。62年より浅草特別養護老人ホームリハビリを続け、平成5年10月、20年ぶりに新宿・末広亭の高座にあがった。豪快な遊びっぷりでも知られた。主な演目に「恋の山手線」「ラブレター」「西行」などがある。

没年月日
平成5年 12月1日 (1993年)

家族
妻=千原 みき(歌手)

伝記
こんな落語家(はなしか)がいた―戦中・戦後の演芸視落語長屋の知恵寄席界隈艶噺 小島 貞二 著矢野 誠一 著三遊亭 円右 著(発行元 うなぎ書房青蛙房三樹書房 ’03’86’86発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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