大正・昭和期の洋画家,漫画家。本名正六。松山市に生まれ,1914年上京,翌年16歳で院展に入選。20年読売新聞社に入社し,政治漫画を描き,また未来派美術協会に加わって前衛美術運動で活躍した。ドイツの漫画家G.グロッスの影響をうけ,プロレタリア美術運動に深く傾斜,25年日本プロレタリア文芸連盟および漫画連盟に参加した。同年創刊の《無産者新聞》に独特の鋭い筆致で政治漫画を描いた活動はプロレタリア美術史上特筆される。31年共産党に入党し《赤旗》部門で活動したが,32年検挙され1年後釈放された。その後夏川八朗の名で雑誌に寄稿したりしたが執筆禁止にあい,雌伏中45年5月新宿駅でアメリカ軍の爆撃で死去した。
執筆者:広川 禎秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
画家、詩人。松山生まれ。本名は正六(まさむ)。小学校を終え、1914年(大正3)に上京、日本美術院研究所で学ぶ。『種蒔(ま)く人』『文芸戦線』に参加し、プロレタリア芸術運動の展開とともに活躍した。活動は幅広く、彫刻を発表したり、23年に村山知義(ともよし)らと前衛的芸術集団「マヴォの会」を結成、前衛的な意匠や詩を書いたり、『無産者新聞』(1925~29)で鋭い政治風刺漫画の筆を振るったりした。32年(昭和7)検挙され、入獄。東京空襲で死去。
[鳥居明久]
『『柳瀬正夢画集』(1930・叢文閣)』▽『『柳瀬正夢デッサン集』(1977・岩崎美術社)』
…共産主義政権下の中国で1962年に鄧拓が《燕山夜話》を著して政権を批判したとき,中国に漫画の伝統があったということから説き起こしてやがて反党・反社会主義として批判されたのも,〈全体主義〉と漫画が両立しにくいことを示す。ファシズムに対抗する際の共産主義運動は,《無産者新聞》にアジ・プロ漫画を描き続けた柳瀬正夢(やなせまさむ)(1900‐45)のように,すぐれた作品を生み出した。 1945年の敗戦は大正時代の漫画を復活させた。…
※「柳瀬正夢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新