精選版 日本国語大辞典 「栗山潜鋒」の意味・読み・例文・類語
くりやま‐せんぽう【栗山潜鋒】
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
江戸中期の歴史家。名は愿(げん)、通称源八、潜鋒のほか伯立、拙斎(せっさい)などの号がある。父は山城国(やましろのくに)淀(よど)藩の学者長沢良節。14歳のとき京都に出て崎門(きもん)学派の桑名松雲(しょううん)に学んだ。1693年(元禄6。一説に元禄5)23歳で水戸(みと)藩に仕え、彰考館(しょうこうかん)編修として『大日本史』の編纂(へんさん)に従った。水戸前藩主徳川光圀(みつくに)の信頼厚く抜擢(ばってき)され、27歳の若さで彰考館総裁となった。36歳で没し、江戸駒込(こまごめ)の竜光寺に葬られた。著書に『保建大記』『倭(わ)史後編』、文集に『弊帚(へいそう)集』などがある。
[瀬谷義彦]
『平泉澄著「栗山潜鋒と谷秦山」(平泉澄著『国史学の骨髄』所収・1932・至文堂)』▽『久野勝弥著「潜鋒栗山愿」(水戸史学会編『水戸史学先賢伝』所収・1984・水戸史学会)』
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(鈴木暎一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
1671~1706.4.7
江戸前期の儒学者。水戸藩士。父は山城国淀藩の儒者長沢良節。名は愿(すなお),字は伯立,通称は源介,号は潜鋒・拙斎。1684年(貞享元)京都で崎門(きもん)学派の桑名松雲に儒学を学び,同門の水戸史臣鵜飼錬斎(れんさい)の推挙により後西天皇の皇子八条宮尚仁(なおひと)親王の侍読となる。親王没後京都で開塾したが,のち水戸藩主徳川光圀(みつくに)に仕え「大日本史」編纂に従事,27歳で彰考館総裁に就任。光圀の死後,「義公行実」を執筆。著書「保建大記(ほうけんたいき)」「倭史後編」「弊帚(へいそう)集」。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
※「栗山潜鋒」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新
3/11 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
2/13 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新