根津 嘉一郎(1代目)(読み)ネズ カイチロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「根津 嘉一郎(1代目)」の解説

根津 嘉一郎(1代目)
ネズ カイチロウ


肩書
衆院議員(憲政会),貴院議員(勅選),根津コンツェルン総帥,東武グループ創立者

生年月日
万延1年6月15日(1860年)

出生地
甲斐国聖徳寺村(山梨県)

経歴
20歳の時上京して漢学を学んだ後、郷里山梨に戻り村議、郡議、県議を経て、聖徳寺村村長。近代産業の勃興期、田舎の政治家にあきたらず上京、甲州財閥の先輩若尾逸平の「灯り(電力)と乗りもの(電車)に手を出せ」を胸に産業人に転身。機敏な才覚で東京電燈の株買い占め、東京市街鉄道会社の設立からやがて私鉄会社の設立、買収に力を注ぎ、明治38年東武鉄道の支配権を握って社長に就任。私鉄24社を支配下に収めた。さらに帝国石油、館林製粉、大日本製粉、日清製粉、太平生命保険、昭和火災保険、富国徴兵保険など事業範囲を拡大、根津コンツェルンの名で呼ばれるに至った。一方、明治37年に衆院議員に当選、4期つとめ、大正15年勅選貴院議員。また根津育英会を設立、武蔵高校を創立した。他に古美術愛好家としても知られ、没後、根津美術館が設立されている。

没年月日
昭和15年1月4日

家族
長男=根津 嘉一郎(2代目)(東武鉄道取締役相談役) 孫=根津 公一(東武百貨店社長) 根津 嘉澄(東武鉄道社長)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「根津 嘉一郎(1代目)」の解説

根津 嘉一郎(1代目)
ネヅ カイチロウ

明治〜昭和期の実業家,政治家,美術愛好家 根津コンツェルン総帥;東武グループ創立者;衆院議員(憲政会);貴院議員(勅選)。



生年
万延1年6月15日(1860年)

没年
昭和15(1940)年1月4日

出生地
甲斐国聖徳寺村(山梨県)

経歴
20歳の時上京して漢学を学んだ後、郷里山梨に戻り村議、郡議、県議を経て、聖徳寺村村長。近代産業の勃興期、田舎の政治家にあきたらず上京、甲州財閥の先輩若尾逸平の「灯り(電力)と乗りもの(電車)に手を出せ」を胸に産業人に転身。機敏な才覚で東京電燈の株買い占め、東京市街鉄道会社の設立からやがて私鉄会社の設立、買収に力を注ぎ、明治38年東武鉄道の支配権を握って社長に就任。私鉄24社を支配下に収めた。さらに帝国石油、館林製粉、大日本製粉、日清製粉、太平生命保険、昭和火災保険、富国徴兵保険など事業範囲を拡大、根津コンツェルンの名で呼ばれるに至った。一方、明治37年に衆院議員に当選、4期つとめ、大正15年勅選貴院議員。また10年根津育英会を設立、武蔵高校を創立した。他に古美術愛好家としても知られ、没後、根津美術館が設立されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

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