桐竹 紋十郎(2代目)(読み)キリタケ モンジュウロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「桐竹 紋十郎(2代目)」の解説

桐竹 紋十郎(2代目)
キリタケ モンジュウロウ


職業
文楽人形遣い

専門
人形浄瑠璃

肩書
重要無形文化財保持者(人形浄瑠璃文楽・人形)〔昭和40年〕

本名
磯川 佐吉(イソガワ サキチ)

別名
前名=吉田 小文,吉田 文昇,吉田 簑助(2代目)(ヨシダ ミノスケ)

生年月日
明治33年 11月20日

出生地
大阪府 堺市

経歴
明治42年9月3代目吉田文五郎に師事、吉田小文と名乗った。同年11月堀江座に初出演。大正4年文楽座へ移り、7年2代目吉田簑助を襲名。昭和2年2代目紋十郎を襲名、政岡、お園、静御前など女形を得意とし、勘平、治兵衛など立役もよくした。23年文楽に労働組合が結成され日映演大阪支部委員長に選出。24年文楽が2派に分裂、のちの三和会会長として保守派の因会と対立、松竹資本を離れ小劇場や地方巡演などを行い、カナダ、アメリカ、ヨーロッパ公演にも参加、文楽の普及に努めた。また木下順二作「瓜子姫とアマンジャク」や有吉佐和子の「ほむら」など現代語による実験上演も試みた。40年人間国宝に認定され、44年文化功労者。女形遣いの第一人者で、派手で観客の目をひく動きと、華麗で艶やかな芸風は文楽の華であった。代表作に「壇浦兜軍記」の阿古屋、「艶容女舞衣」のお園、「生写朝顔話」の深雪、「義経千本桜」の静御前、「伽羅先代荻」の政岡など。著書に「文楽の人形と三味線」(共著)がある。

受賞
芸術選奨〔昭和31年〕,文化功労者〔昭和44年〕 紫綬褒章〔昭和32年〕 芸術祭賞〔昭和24年〕

没年月日
昭和45年 8月21日 (1970年)

家族
息子=藤間 紋寿郎(日本舞踊家)

伝記
書くこと―出家する前のわたし 瀬戸内 寂聴 著(発行元 河出書房新社 ’90発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「桐竹 紋十郎(2代目)」の解説

桐竹 紋十郎(2代目)
キリタケ モンジュウロウ

大正・昭和期の文楽人形遣い



生年
明治33(1900)年11月20日

没年
昭和45(1970)年8月21日

出生地
大阪府堺市

本名
磯川 佐吉

別名
前名=吉田 小文,吉田 文昇,吉田 簑助(2代目)

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和24年〕,芸術選奨〔昭和31年〕,文化功労者〔昭和44年〕

経歴
明治42年9月吉田文五郎に師事、吉田小文と名乗った。同年11月堀江座に初出演。大正4年文楽座へ移り、7年2代目吉田簑助を襲名。昭和2年2代目紋十郎を襲名、政岡、お園、静御前など女形を得意とし、勘平、治兵衛など立役もよくした。23年文楽に労働組合が結成され日映演大阪支部委員長、続いて三和会を組織、会長として保守派の因会と対立、松竹資本を離れ小劇場や地方巡演などを行い、カナダ、アメリカ、ヨーロッパ公演にも参加、文楽の普及に努めた。また木下順二作「瓜子姫とアマンジャク」や有吉佐和子の「ほむら」など現代語による実験上演も試みた。40年重要無形文化財保持者に指定され、44年文化功労者。著書に「文楽の人形と三味線」(共著)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「桐竹 紋十郎(2代目)」の解説

桐竹 紋十郎(2代目) (きりたけ もんじゅうろう)

生年月日:1900年11月20日
大正時代;昭和時代の人形浄瑠璃の人形遣い
1970年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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