桜内 義雄(読み)サクラウチ ヨシオ*

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「桜内 義雄」の解説

桜内 義雄
サクラウチ ヨシオ*


肩書
元・衆院議員(自民党),元・衆院議長,元・外相,元・通産相,元・農相,元・建設相,元・国土庁長官

生年月日
明治45年5月8日

出生地
東京・四谷尾張町

出身地
島根県広瀬町

学歴
慶応義塾大学経済学部〔昭和10年〕卒

経歴
昭和10年鐘紡に入社。13年応召、14年除隊。蔵相の父・幸雄の私設秘書民政党桜井兵五郎の秘書となり、同時に日本電化を経営。22年東京1区で衆院議員に当選。いったん参院に回った後、27年父の選挙区島根全県区を継承した。通算18回当選。39年通産相、47年農相、52年建設相、同年国土庁長官、56年外相などを歴任。この間、55年の衆参同日選挙では大平正芳首相の急逝に遭うが、自民党幹事長として混乱する党内をまとめ、大勝に導いた。平成2〜5年衆院議長を務め、在任中の4年社会党議員が牛歩戦術で激しく抵抗する中、国連平和維持活動(PKO)協力法の採決にこぎ着け、同法を成立させた。スポーツ議員連盟会長、日本国際貿易促進協会会長も務めた。11年3月史上5人目となる議員在職50年を迎え、特別表彰された。中曽根元首相と行動を共にし、のち渡辺派を経て、村上・亀井派。12年引退。

受賞
パドマ・ブーシャン(インド)〔平成1年〕 勲一等旭日桐花大綬章〔平成5年〕

没年月日
平成15年7月5日

家族
父=桜内 幸雄(蔵相)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「桜内 義雄」の解説

桜内 義雄
サクラウチ ヨシオ

昭和・平成期の政治家 元・衆院議員(自民党);元・衆院議長;元・外相;元・通産相;元・農相;元・建設相;元・国土庁長官。



生年
明治45(1912)年5月8日

没年
平成15(2003)年7月5日

出生地
東京・四谷尾張町

出身地
島根県広瀬町

学歴〔年〕
慶応義塾大学経済学部〔昭和10年〕卒

主な受賞名〔年〕
パドマ・ブーシャン(インド)〔平成1年〕,勲一等旭日桐花大綬章〔平成5年〕

経歴
昭和10年鐘紡に入社。13年応召、14年除隊。蔵相の父・幸雄の私設秘書、民政党の桜井兵五郎の秘書となり、同時に日本電化を経営。22年東京1区で衆院議員に当選。いったん参院に回った後、27年父の選挙区島根全県区を継承した。通算18回当選。39年通産相、47年農相、52年建設相、同年国土庁長官、56年外相などを歴任。この間、55年の衆参同日選挙では大平正芳首相の急逝に遭うが、自民党幹事長として混乱する党内をまとめ、大勝に導いた。平成2〜5年衆院議長を務め、在任中の4年社会党議員が牛歩戦術で激しく抵抗する中、国連平和維持活動(PKO)協力法の採決にこぎ着け、同法を成立させた。スポーツ議員連盟会長、日本国際貿易促進協会会長も務めた。11年3月史上5人目となる議員在職50年を迎え、特別表彰された。中曽根元首相と行動を共にし、のち渡辺派を経て、村上・亀井派。12年引退。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「桜内 義雄」の解説

桜内 義雄 (さくらうち よしお)

生年月日:1912年5月8日
昭和時代;平成時代の政治家
2003年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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