精選版 日本国語大辞典 「森狙仙」の意味・読み・例文・類語
もり‐そせん【森狙仙】
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江戸後期の画家。父は橘如閑斎(たちばなじょかんさい)と名のる画家。名は守象、字(あざな)は叔牙。狙仙、如寒斎、霊明庵と号す。画(え)を初め長兄の陽信、次兄の周峰と狩野(かのう)派の山本如春斎に学んだが、円山応挙(まるやまおうきょ)の影響を受け、30代の後期に独自の写生的画風を確立し、猿書(さるがき)の名手として大坂を中心に活躍し、一派をなした。1807年(文化4)還暦を迎えてのち、号を祖仙から狙仙に改めたものと考えられる。応挙が絵のモチーフを均整のとれた写生的表現によって描くとともに、その背景を密度のある空間としてとらえることにより、独特の夢幻的絵画世界を構成したのに対し、擬人化した猿や鹿(しか)のユーモラスな姿態を、他の追随を許さない精細克明な毛描(けがき)のうちに表現する狙仙の画風は、洒脱(しゃだつ)性と技巧性の近代的な融合という点に大きな特色がある。代表作品には『雪中獣禽図襖(せっちゅうじゅうきんずふすま)』(京都・広誠院)、『秋山遊鹿(ゆうか)図』(東京国立博物館)などがある。なお狙仙の画風を継承展開した森派の画家として、森徹山(てつざん)、森寛斎(かんさい)があげられる。
[玉蟲玲子]
(河野元昭)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
江戸後期の大坂画壇を代表する画家の一人。名は守象,初め祖仙と号した。父,2人の兄とも画家という恵まれた環境に育った。初め狩野派の画家に学んだが,写生に立脚した平明な画風をひらいた円山応挙の影響を受け,身近な動物を得意とした。特に精細な描写に擬人化したユーモアを感じさせる猿の絵が名高い。次兄周峯の子で応挙に師事した徹山(1775-1841)を養子に迎えて後継者とし,さらに徹山門下に一鳳(1797-1851),寛斎(1814-94)が出て森派を形成した。
執筆者:鈴木 廣之
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