植村 直己(読み)ウエムラ ナオミ

20世紀日本人名事典 「植村 直己」の解説

植村 直己
ウエムラ ナオミ

昭和期の登山家,冒険家



生年
昭和16(1941)年2月12日

没年
昭和59(1984)年2月13日(?)

出生地
兵庫県城崎郡日高町

学歴〔年〕
明治大学農学部農産製造学科〔昭和39年〕卒

主な受賞名〔年〕
歴程賞(第13回)〔昭和50年〕,朝日体育賞〔昭和51年〕,菊池寛賞(第26回)〔昭和53年〕,バラー・イン・スポーツ賞(英国)〔’79年〕,国民栄誉賞〔昭和59年〕,明治大学名誉博士号〔昭和59年〕

経歴
明大山岳部に入部以来、山の魅力にとりつかれ、登山活動に打ち込む。昭和39年大学卒業後、世界放浪の旅に出る。41年のモンブラン登頂を皮切りに、マッターホーン、キリマンジャロ南米のアコンカグァ、エベレストマッキンリーと世界五大陸の最高峰の単独登頂(エベレスト以外)に成功、世界的アルピニストとなる。のち舞台を一転極地探検に挑み、48年グリーンランド3千キロ、51年北極圏一万2千キロを犬ぞりで単独走破、53年北極点縦断6千キロ、さらにグリーンランド縦断に成功して世界を驚かせた。57年南極3千キロ犬ぞり旅行と最高峰ビンソンマシフ登頂を目指したが、フォークランド紛争のため断念した。59年2月12日、世界初のマッキンリー冬期単独登頂に成功。翌13日チャーター機との交信後、消息を断った。誠実な人柄で愛され、インド山岳博物館は“20世紀最高の登山家”と讃え、遺影を掲げた。主な著書に「極北を駆ける」「青春を山に賭けて」「エベレストを越えて」「植村直己の冒険学校」などがある。平成8年兵庫県日高町は、果敢なチャレンジ精神を発揮した冒険家に贈る植村直己冒険賞を創設

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「植村 直己」の解説

植村 直己 (うえむら なおみ)

生年月日:1941年2月12日
昭和時代の登山家;冒険家
1984年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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