植松 考昭(読み)ウエマツ ヒロアキ

20世紀日本人名事典 「植松 考昭」の解説

植松 考昭
ウエマツ ヒロアキ

明治期のジャーナリスト,政治評論家 「東洋経済新報主幹



生年
明治9年3月(1876年)

没年
大正1(1912)年9月14日

出生地
石川県金沢市

出身地
滋賀県

別名
筆名=矗木(チクボク)

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)英語政治学科〔明治29年〕卒

経歴
明治30年日本初の労働運動の機関紙「労働世界」の記者となり、31年東洋経済新報社に入社。36年から「東洋経済新報」(現「週刊東洋経済」)の編集を任され、急進的民主主義を唱導。37年5月から39年3月まで陸軍砲兵中尉として日露戦争応召、帰国後普通選挙権の主張に続き、矗木(ちくぼく)のペンネームで政党史に関する評論を118回にわたって掲載、その一部を著書「明治史伝」にまとめた。また、軍備拡張政策反対を力説、自由貿易論を提唱、労働運動にも尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android