楊時(読み)ようじ

精選版 日本国語大辞典 「楊時」の意味・読み・例文・類語

よう‐じ ヤウ‥【楊時】

中国北宋中期の儒学者。字(あざな)中立亀山(きざん)先生と称する。程顥程頤師事してその正統を継ぎ、後の朱子などの学の淵源となった。弟子が多く、官を辞した後は、著書講学に専念した。その学派を道南学派という。著に「亀山集」などがある。(一〇五三‐一一三五

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デジタル大辞泉 「楊時」の意味・読み・例文・類語

よう‐じ〔ヤウ‐〕【楊時】

[1053~1135]中国、北宋の儒学者。将楽(福建省)の人。あざなは中立。亀山きざん先生と称する。程顥ていこう程頤ていいに学び、その正統を継ぐ。朱熹しゅきの学の祖といわれる。著「亀山集」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「楊時」の意味・わかりやすい解説

楊時
ようじ
(1053―1135)

中国、北宋(ほくそう)の学者。字(あざな)は中立、号は亀山(きざん)。南剣州将楽(福建省)の人。官は竜図閣直学士(りゅうとかくちょくがくし)に至る。最初程顥(ていこう)(明道(めいどう))に師事し、程顥の死後、弟の程頤(ていい)(伊川(いせん))に師事した。程門の四先生の一人。程顥に従学した後、帰郷する楊時を見送った程顥が、「吾(わ)が道南(みなみ)す」といったのは有名な話で、その語のとおり、楊時によって二程の学説が華中・華南の地に広められ、南宋朱熹(しゅき)(朱子)や張栻(ちょうしょく)(南軒(なんけん))に継承されていった。『二程粋言』を編集したほか、著に『亀山(きざん)語録』『亀山文集』がある。

[佐藤錬太郎 2016年2月17日]

『鈴木喜一訳注『楊亀山』(『朱子学大系 第3巻 朱子の先駆 下』所収・1976・明徳出版社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「楊時」の意味・わかりやすい解説

楊時 (ようじ)
Yáng Shí
生没年:1053-1135

中国,北宋の思想家。字は中立。亀山(きざん)先生と呼ばれ,楊亀山でも知られる。福建省の人。程顥(ていこう)(明道)・程頤(ていい)(伊川)の高弟。彼が故郷に帰るとき,程顥が〈わが道,南せり〉と言った話は有名。北宋の道学は,彼から羅従彦(予章),李侗(りとう)(延平)をへて朱熹(しゆき)(子)に伝えられるのである。その学風は,静座によって心を涵養(かんよう)するところに特色があるが,程伊川から〈理一分殊〉の思想を引き出した功績も軽視できない。《楊亀山先生集》が伝わる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「楊時」の意味・わかりやすい解説

楊時
ようじ
Yang Shi

[生]皇祐5(1053)
[没]紹興5(1135)
中国,宋の儒者。福建省南剣将楽の人。字は中立。号は亀山。官は竜図閣直学士にいたり,すこぶる治績があった。初め程 顥 (ていこう) に師事,その死後は程頤 (ていい) に従学した。その学には仏教,老荘の影響がみられる。弟子に羅予章がおり二程子の学問は彼を通して朱子に受継がれたといわれる。著書に『楊亀山集』 (42巻) がある。

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