槙村正直(読み)まきむらまさなお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「槙村正直」の意味・わかりやすい解説

槙村正直
まきむらまさなお
(1834―1896)

明治の政治家、貴族院議員。山口県生れ。通称半九郎。長州藩士として戊辰(ぼしん)戦争に参加する。1868年(明治1)議政官史官試補となり、京都府出仕。翌年7月京都府権大参事、1874年京都府権知事、1877年京都府知事、1880年大阪府知事を歴任、1881年元老院議官となる。1887年に男爵を授与され、法律取調委員、のち行政裁判所長官となり、1890年に貴族院議員、同院懲罰委員となる。この間、京阪鉄道、琵琶湖疏水(びわこそすい)の建設に尽力した。

後藤 靖]

『大植四郎編『明治過去帳』新訂(1988・東京美術)』『日本史籍協会編『百官履歴』復製(1997・北泉社)』

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朝日日本歴史人物事典 「槙村正直」の解説

槙村正直

没年:明治29.4.21(1896)
生年天保5.5.23(1834.6.29)
明治時代の政治家。父は羽仁正純,母は常。長州(萩)藩下級藩士出身。慶応2(1866)年の幕長戦争の際,手廻組に加えられ大島口に出張,翌年右筆役となる。明治1(1868)年9月,京都府出仕を振り出しに官界に入り,翌年7月の京都府権大参事から,同10年には京都府知事に昇進。京都の人情風土を「頑固,柔奸,狐疑」と酷評し,その改善を目標に産業,文化の開化政策推進の先頭に立った。東京遷都後衰退の兆し著しい京都の活性化には功があったものの,その政治指導には強引なところがあり,次第に府民と対立するようになる。同14年辞職に追い込まれ,元老院議官に転じた。

(佐々木克)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「槙村正直」の解説

槙村正直 まきむら-まさなお

1834-1896 幕末-明治時代の武士,官僚
天保(てんぽう)5年5月23日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士羽仁正純の次男。京都府の権(ごんの)大参事をへて,明治10年知事となる。学校,博物館,勧業場などを創設して京都の振興につとめた。のち元老院議官,行政裁判所長官,貴族院議員。明治29年4月21日死去。63歳。号は竜山。

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