橋岡 久太郎(読み)ハシオカ キュウタロウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「橋岡 久太郎」の解説

橋岡 久太郎
ハシオカ キュウタロウ


職業
能楽師(観世流シテ方)

肩書
日本芸術院会員〔昭和63年〕

旧名・旧姓
吉川,乃村

生年月日
明治17年 5月15日

出生地
香川県 高松市鶴屋町

経歴
吉川家に生まれ、幼い頃に乃村家の養子となる。明治31年大阪に出て乃村家の親戚である橋岡忠三郎に師事、32年橋岡に改姓して同家7世を継ぎ、同年「小鍛冶」で初シテ。34年上京、観世流23世宗家清廉の内弟子となる。41年独立。昭和2年東京・赤坂に橋岡舞台を建設したが、戦災により焼失(30年再建)。6代目観世華雪らと戦後の観世流を代表する名人とされ、同流興隆に力を注いだ。23年から日本能楽協会理事長を3期務めた。生涯、能の形式主義や権威主義に対し反骨精神を貫き、脱俗の風で知られる。非常な難声で、謡が聞こえぬほどであったが、独自のリズム感がすばらしく、晩年の「姨捨」は、宇宙が動くと評された。また京劇の名優・梅蘭芳とも親交があった。

受賞
日本芸術院賞〔昭和35年〕「菊慈童」「羽衣」 芸術祭賞〔昭和27年〕「阿漕」,芸術選奨(昭34年度)「猩々

没年月日
昭和38年 9月15日 (1963年)

家族
長男=橋岡 久馬(能楽師),二男=橋岡 慈観(能楽師)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「橋岡 久太郎」の解説

橋岡 久太郎
ハシオカ キュウタロウ

明治〜昭和期の能楽師(観世流シテ方)



生年
明治17(1884)年5月15日

没年
昭和38(1963)年9月15日

出生地
香川県高松市鶴屋町

旧姓(旧名)
吉川,乃村

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞〔昭和27年〕「阿漕」,芸術選奨(昭34年度)「猩々」,日本芸術院賞〔昭和35年〕「菊慈童」「羽衣」

経歴
吉川家に生まれ、幼い頃に乃村家の養子となる。明治31年大阪に出て乃村家の親戚である橋岡忠三郎に師事、32年橋岡に改姓して同家7世を継ぎ、同年「小鍛冶」で初シテ。34年上京、観世流23世宗家清廉の内弟子となる。41年独立。昭和2年東京・赤坂に橋岡舞台を建設したが、戦災により焼失(30年再建)。6代目観世華雪らと戦後の観世流を代表する名人とされ、同流興隆に力を注いだ。23年から日本能楽協会理事長を3期務めた。生涯、能の形式主義や権威主義に対し反骨精神を貫き、脱俗の風で知られる。非常な難声で、謡が聞こえぬほどであったが、独自のリズム感がすばらしく、晩年の「姨捨」は、宇宙が動くと評された。また京劇の名優・梅蘭芳とも親交があった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「橋岡 久太郎」の解説

橋岡 久太郎 (はしおか きゅうたろう)

生年月日:1884年7月12日
明治時代-昭和時代の能楽師シテ方
1963年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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