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橋本 國彦 Hashimoto Kunihiko

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

橋本 國彦

東京生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学)および同研究科にてヴァイオリンを専攻。同時にほぼ独学で作曲を学び、前衛音楽から歌謡曲に至る幅広い創作活動を通じて一躍時代の寵児となる。その後1934年から3年 ...続き

出典|(社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について | 情報

新撰 芸能人物事典 明治~平成の解説

橋本 國彦
ハシモト クニヒコ


職業
作曲家 指揮者 バイオリニスト

肩書
東京音楽学校教授

生年月日
明治37年 9月14日

出生地
東京市 本郷区(東京都文京区)

学歴
大阪府立第一中卒 東京音楽学校(東京芸術大学)本科器楽部〔昭和2年〕卒,東京音楽学校研究科〔昭和3年〕修了

経歴
東京に生まれるが、幼くして大阪に移る。辻吉之助にバイオリンを習う傍ら、早くから独学で作曲を進め、中学時代にはバイオリン助奏を伴う歌曲「山のあなた」を書いて山田耕筰に送っており、山田もその才能に注目していたといわれる。大阪府立第一中学から東京音楽学校本科器楽部に入学してバイオリンを専攻し、安藤幸、ケーニッヒらに師事。ラウトルップに指揮法の指導を受けた。この頃にはバイオリンのための「ガヴォット」「即興曲」などを作曲しており、大正15年には西条八十の詩による「巴里の雪」「牡丹」といった歌曲も手がけている。声楽家の徳山璉や四家文子、ピアニストの井口基成、詩人の深尾須磨子らと交友を深めるなかで創作に励み、昭和2年には「橋本国彦歌曲集第一集」を刊行した。同年同科卒業後は研究科に進み、本格的に作曲を勉強。また、新舞踊の藤間静枝(のち藤陰静樹)の主宰する藤陰会のために「ヒドランゲヤ・オタクサ」(台本は藤間と恋愛関係にあった文芸評論家・勝本清一郎が書いた)や「幻術師ヤーヤ」(小島政二郎台本)などのバレエ曲を書き、舞踊音楽に新機軸を打ち立てた。3年フランスから帰国した荻野綾子のリサイタルで聴いたフランス歌曲に刺激されたこともあって、「舞」「黴」「斑猫」「薊の花」「笛吹き女」など、フランス印象派による朗唱様式のスタイル等を取り入れたモダンな歌曲を発表し、日本の現代歌曲に大きな影響を与えた。特に西条の歌詞による「お菓子と娘」は、モダン都市パリへの親近感を表現し、橋本の代表作であるとともに昭和初期における日本のモダンな文化を表象する一曲として名高い。4年ラウトルップのピアノ伴奏による「ソナタの夕」でバイオリニストとしてもデビュー。同年母校東京音楽学校講師となるとともに「尋常小学唱歌」改訂の編纂委員に任ぜられ、「スキーの歌」(詞・林柳波)などを作曲した。また新民謡運動にも関心をもち、「百姓唄」「富士山見たら」など民謡的な音感を持ちながら都会的なエスプリを兼ね備えた新感覚の唄を次々と世に送り出した。5年清瀬保二、箕作秋吉らとともに新興作曲家連盟の創設に参加。同年には「習作」で早くも四分音音楽を試みている。一方、ビクターの専属作曲家として泉浩二、足利龍之助などいくつかの筆名を使い分けてレコードやラジオ、映画用の歌謡曲も手がけており、「ラヂオ小唄」「大大阪地下鉄行進曲」「母の歌」などがヒットした。9年には文部省在外研究員としてウィーンに留学し、ヴェレスに師事するとともに、フルトヴェングラーやワルターら世界有数の指揮者による名演に触れる機会を持った。また日本への帰途、ロサンゼルスに立ち寄ってシェーンベルクに親しく教えを受けており、戦時下に十二音技法による曲を試作したとも言われている。12年に帰国後も旺盛に創作活動を進め、15年皇紀二千六百年の奉祝曲として「交響曲ニ調」を発表。しかし、戦前から戦中にかけては時節柄、戦意高揚を目的とした楽曲が多くなり、モダンで華やいだ雰囲気を持つ国家主義啓蒙歌「大日本の歌」や18年に戦死した山本五十六を追悼するカンタータ「英霊讃歌」などを作曲し、20年の「勝ち抜く僕等少国民」などのように児童用の唱歌ながら一億玉砕の覚悟を促したものもあった。この間、東京音楽学校作曲科主任教授に就任し、芥川也寸志、団伊玖磨、矢代秋雄らを育てるが、戦後は戦争協力に対する責任をとらされて、22年に退職。以後は作曲に専念し、ラジオ歌謡「朝はどこから」や、戦争で亡くなった人々への追悼や悔恨、懺悔、虚脱の情がにじみ出た「冬の組曲」「三つの和讃」などを書くが、間もなく胃癌を発病し、24年44歳の若さで没した。他の作品に「交響曲第2番ヘ調」「スケルツォ」「前奏曲とフーガ」「行進曲ヘ調」「タンスマニズム」、声楽曲「川」「ビール樽」「青い鳥」「光華門」「叙情組曲」、歌謡曲「チェリオ!」、舞踊音楽「吉田御殿」「天女と漁夫」、吹奏楽曲「行進曲〈若人よ!〉」、「ラジオ体操第三」などがある。

没年月日
昭和24年 5月6日 (1949年)

出典|日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について | 情報

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