橘旭翁(初代)(読み)たちばな・きょくおう

朝日日本歴史人物事典 「橘旭翁(初代)」の解説

橘旭翁(初代)

没年:大正8.8.28(1919)
生年嘉永1(1848)
明治大正期の鶴崎賢定,吉田竹子とならぶ筑前琵琶創始者のひとり。本名は智定,旭翁の名は明治44(1911)年から。博多の晴眼の盲僧として荒神琵琶に携わっていた。40歳のとき鹿児島に半年滞在し,あこがれていた薩摩琵琶を習い,帰郷後は筑前盲僧琵琶を基本に独自に楽器の改作,新様式の作品創作,楽譜作成を試みた。この音楽的革新の骨子は,宗教性からの脱却,三味線音楽への接近であったので,結果として優雅に歌う旋律型が多数作られ,また女性の琵琶音楽家育成にも努めた。50歳ごろからは東京に居を構え,筑前琵琶の全国普及に貢献した。主な作品に「石童丸」「扇の的」「小栗須」「菅公」「小督」「湖水渡」がある。 2代目旭翁は初代の子。本名一定。妹婿の初代橘旭宗と共に近代的な5弦の琵琶を考案した。3代目旭翁は2代目の子。本名定友。4代目旭翁は3代目の子。本名定利。<参考文献>芝成里・大坪草二郎『初代橘旭翁伝』(『筑前琵琶物語』として再刊,1983)

(山口修)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橘旭翁(初代)」の解説

橘旭翁(初代) たちばな-きょくおう

1848-1919 明治-大正時代の琵琶(びわ)演奏家。
嘉永(かえい)元年10月10日生まれ。琵琶法師の父にまなび,鹿児島で薩摩(さつま)琵琶を研究し,楽器奏法を改良。東京にうつって明治34年旭翁を名のり,のち旭会を結成し,筑前(ちくぜん)琵琶の普及につとめた。鶴崎賢定,吉田竹子とならんで筑前琵琶の創始者のひとりとされる。大正8年8月28日死去。72歳。筑前(福岡県)出身。本名は智定。

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