新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「武藤 山治」の解説
武藤 山治
ムトウ サンジ
- 肩書
- 衆院議員,鐘淵紡績社長
- 旧名・旧姓
- 旧姓=佐久間
- 生年月日
- 慶応3年3月1日(1867年)
- 出生地
- 尾張国海部郡鍋田村(愛知県)
- 学歴
- 慶応義塾卒
- 経歴
- 美濃国(岐阜県)の豪農・佐久間国三郎の長男に生まれ、のち武藤家の養子となる。19歳で渡米、カリフォルニア州のパシフィック大で学ぶ。明治20年帰国し、ジャパンガゼット新聞社に勤務する傍ら、日本で最初の広告取次業をはじめ、「博聞雑誌」を刊行。26年中上川彦次郎の誘いで三井銀行入り。27年鐘淵紡績に移り、兵庫工場支配人、本社支配人、41年専務を経て、大正10年社長。鐘紡を大阪紡、三重紡、富士紡とならぶ4大紡の一つに成長させた。12年実業同志会を創立、会長となり、13年以降衆院議員当選3回。昭和7年政界を引退、時事新報社長に。9年同紙の連載「番町会を暴く」で帝人事件火つけ役ともなるが、同年鎌倉で狙撃され死亡した。著書に「紡績大合同論」など多数。
- 没年月日
- 昭和9年3月10日
- 家族
- 次男=武藤 糸治(鐘紡社長) 孫=武藤 治太(ダイワボウ社長)
武藤 山治
ムトウ サンジ
- 肩書
- 元・衆院議員(社会党)
- 生年月日
- 大正14年7月8日
- 出生地
- 栃木県足利市
- 学歴
- 早稲田大学政経学部〔昭和26年〕卒 早稲田大学大学院〔昭和27年〕中退
- 経歴
- 税務署、消防隊などで働きながら学業を続ける傍ら、昭和21年金子益太郎代議士秘書になる。27年大学院を中退し館林女子高教諭、30年から栃木県議を2期つとめ、35年衆院議員に当選、通算10期。財政金融政策委員長、52年党政審会長、58年右派の政権構想研究会代表、61年副委員長、63年党代議士会長を歴任。同年株式売買に絡む明電工事件で株売却益の授受疑惑が持たれ、平成4年衆院商工委員長を辞任。5年落選し、政界を引退した。
- 受賞
- 勲一等旭日大綬章〔平成7年〕
- 趣味
- 絵画 将棋 盆栽
- 没年月日
- 平成13年5月29日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報