気多神社(読み)けたじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「気多神社」の意味・読み・例文・類語

けた‐じんじゃ【気多神社】

石川県羽咋(はくい)市寺家(じけ)町にある神社。旧国幣大社。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)崇神天皇のときの創建と伝えられる。朝廷、武家の保護厚く、特に江戸時代には藩主前田氏の崇敬をうけた。気多大社。気多大神宮。能登大神。能登国一宮

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デジタル大辞泉 「気多神社」の意味・読み・例文・類語

けた‐じんじゃ【気多神社】

石川県羽咋はくい市にある神社。旧国幣大社。祭神は大己貴命おおなむちのみこと。気多大神宮。能登国一の宮

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日本歴史地名大系 「気多神社」の解説

気多神社
けたじんじや

[現在地名]羽咋市寺家町

寺家じけ町集落の北端、海浜に近い低台地の麓に鎮座。気多大社と通称。祭神大己貴命。天活玉命とする説もある(「気多社祭儀録」気多神社文書)。旧国幣大社。近世までは気太とも書き、気太神宮・気多大神宮・気多不思儀大智満菩薩とよばれ、また能登一宮であるため一宮と通称される。「延喜式」神名帳の羽咋郡名神大社の同名社に比定される。

〔創祀〕

気多神社縁起(気多神社文書)によれば、祭神の大己貴命が孝元天皇のとき三〇〇余神を率いて来降し、越中の北島の化鳥(魔王)鹿島路かしまじ湖水(邑知潟)の大蛇を退治し、人々の悩愁を除き海路を開いたといい、気多社島廻縁起(同文書)では、気多大菩薩を同天皇のとき従類を率いて渡来した異国の王子とし、能登半島各地を巡行後当地一帯の鬼神を追放したとする。気多社祭儀録では崇神天皇のとき勧請といい、神代より鎮座との説もあると記す。なお孝元天皇の時にはみや(現七尾市)に鎮祭され、崇神天皇の時に当地に遷座したとも伝え、現七尾市所口ところぐち町の能登生国玉比古のといくくにたまひこ神社は気多本宮とも称する。この由緒により当社の平国祭では所口へ神幸が行われる。

万葉集」巻一七に、天平二〇年(七四八)越中守大伴家持が「赴参気太神宮」のとき詠じた「之乎路から直越え来れば羽咋の海朝凪ぎしたり船楫もがも」の歌がある。「続日本紀」神護景雲二年(七六八)一〇月二四日条に「能登国気多神」とみえ、封戸二〇戸・田二町が給されている。同四年八月二日称徳天皇不予により当社に中臣葛野飯麻呂が派遣され、奉幣が行われている(同書)。延暦三年(七八四)従三位気太神は正三位に昇叙され(同書同年三月一六日条)、嘉祥三年(八五〇)従二位になり(「文徳実録」同年六月二日条)、仁寿三年(八五三)には正二位勲一等で(同書同年八月一五日条)、貞観元年(八五九)に従一位に叙された(「三代実録」同年正月二七日条)。なお正長元年(一四二八)六月の気多社神官供僧訴状案(気多神社文書)に「正一位太政大臣勲一等気多不思儀大智満菩薩」とみえ、公家・武家からの崇敬を深く受けていたとも考えられている。大同元年(八〇六)の封戸は三〇戸(新抄格勅符抄)、仁寿三年八月一五日に神封一〇戸・位田二町が加給されている(文徳実録)

天暦三年(九四九)五月二三日の神祇官勘文(尊経閣文庫蔵)では、当社の祭祀の始まりを神護景雲四年の奉幣と記すが、この奉幣は、前年の新羅国使の対馬着岸にかかわって、渡来の疫神追却を祈願したものともみられ、当社が東北経営・対外交渉の要地に鎮座し、疫神祭祀上も重視されていたことがうかがえる。

気多神社
けたじんじや

[現在地名]高岡市伏木一宮

二上ふたがみ山塊が東に延び、しだいに低くなってやがて平地に移ろうとする高台上にある。「延喜式」神名帳に記す射水郡一三座の一つとされる。祭神は大己貴命・奴奈加波比売命、相殿神は菊理姫命・事代主命。旧県社。石川県鶴来つるぎ白山比しらやまひめ神社蔵の「白山之記」には「新気多」と記され、その間の事情について「但能登国ハ越中ノ能登郷也、聖武天皇御時、神亀年中立国之間、越中二宮ノ二神ハ越中之一宮ト成、気多ハ能登郡之時、為一宮之間、立国之日ナヲ能登一宮也(中略)但越中ニ新気多ヲ奉祝、二神諍一宮、二神ハ無力之間、新気多成一宮云々」とある。越中国から能登国が分立した後に、旧越中国一宮の羽咋はくい気多神社が能登国一宮に、旧越中国二宮の二神(二上)神社が新越中国一宮になった。その後新気多が二上と一宮を争い、新気多が一宮になったと伝えている。北陸道鎮定者側の国衙神であった気多神が優勢になり、地方豪族たる射水臣氏の奉祭神としての二上神を圧倒していった過程をうかがうことができる。

気多神社
けたじんじや

[現在地名]昭和村小中津川

宮原みやはら地内にあり、大己貴命を祭神とし、相殿に大山祇神社を有している。旧村社。社殿は権現造で、神殿方五尺、幣殿縦二間・横四間、拝殿縦三間・横四間。正徳六年(一七一六)勧請改により総鎮守の拝書を授かり、享保三年(一七一八)現在地に社地を得て本殿を祀ったという(「村社気多神社御由緒調査書」菊地家文書)。「新編会津風土記」には「境内東西二十間、南北十九間免除地」とある。

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改訂新版 世界大百科事典 「気多神社」の意味・わかりやすい解説

気多神社 (けたじんじゃ)

石川県羽咋市に鎮座。気多大社とも呼ばれる。旧国幣大社。祭神の大己貴(おおなむち)命は出雲より来臨して能登地方を平定開発し,やがて鎮祭されたと伝えられる。早くから北陸の大社として聞こえ,奈良時代より名をあらわしている。748年(天平20)に越中守の大伴家持が社参したときの詠歌が《万葉集》にみえる。768年(神護景雲2)に神封20戸,田2町を寄せられたのをはじめとして奉幣にあずかるなど,朝廷の尊崇をうけた。855年(斉衡2)には神宮寺に常住僧がおかれ,神階は859年(貞観1)には従一位にのぼった。このような殊遇は東北経営や対外関係にその神威が仰がれたためであろう。1978年に南方800mの地に発見された祭祀遺跡との関連も考えられる。延喜の制では名神大社に列して祈年の国幣にあずかり,その後は能登国の一宮として重んじられた。分祀や御子神も平安初期には越中,加賀,越前,飛驒に存在した。中世以降は武門の信仰を受け,能登の守護畠山氏,後には加賀藩祖前田利家をはじめ歴代藩主が深く尊信し,社領350石を寄進したほか社殿の造営等をした。近世の社家は22家,社僧は長福院,正覚院,薬師院,地蔵院があった。社殿は入らずの森と呼ばれる天然記念物指定の広大な社叢を背景に南面して海に向かっている。本殿,拝殿,摂社の白山神社,同若宮神社および神門はいずれも重要文化財である。鎮座地の寺家町も能登一宮という歴史的環境を保ち,釈迢空(折口信夫)の歌〈気多の宮蔀(しとみ)にひゞく海の音耳をすませば聴くべかりけり〉の境地を伝えている。例祭は4月3日。このほか3月18日より23日まで2市5町を渡御する平国(くにむけ)祭,12月16日の早暁に生きたウを神前に放って本殿へ進める鵜祭等の特殊神事がある。社蔵文書約3000点のうち後奈良天皇女房奉書は重要文化財に指定されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「気多神社」の意味・わかりやすい解説

気多神社
けたじんじゃ

石川県羽咋(はくい)市寺家町(じけまち)に鎮座。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。創建年代未詳。能登(のと)国一宮(いちのみや)で、古くは気多大神宮とも称した。大己貴命は少彦名神(すくなひこなのかみ)の協力を得てこの地方の賊徒を平定したが、その恩に報いるため土地の人々が奉斎したのが本社の創建と伝える。一説に崇神(すじん)天皇の代ともいう。748年(天平20)の越中(えっちゅう)国守大伴家持(おおとものやかもち)の歌に「気太神宮」の名がみえる。『新抄格勅符』に765年(天平神護1)神封寄進のことがみえ、歴朝の崇敬がきわめて厚く、延喜(えんぎ)の制では名神(みょうじん)大社に列した。1871年(明治4)国幣中社、1915年(大正4)国幣大社に昇格。摂社に奥社、若宮神社、白山神社があり、末社なども多い。例祭日は4月3日で、追澄(おいずみ)祭ともいい、射的行事が行われる。そのほか1月11日の門出(かどで)式、3月18日より23日にかけての平国(くにむけ)祭、4月4日の鎮花祭、5月1日の御贄(おにえ)祭、12月16日の鵜祭(うまつり)などの特殊神事は有名。拝殿、神門のほか、1569年(永禄12)再建の摂社若宮神社本殿は重要文化財。社宝に「後奈良(ごなら)天皇女房奉書」(重要文化財)などがある。

[平泉隆房]


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百科事典マイペディア 「気多神社」の意味・わかりやすい解説

気多神社【けたじんじゃ】

石川県羽咋(はくい)市寺家町に鎮座。旧国幣大社。大己貴(おおなむち)命をまつる。祭神はこの地方開拓の祖神という。延喜式内の名神大社とされる。能登国の一宮。例祭は4月3日。ほかに平国(くにむけ)祭(3月18〜23日),鵜祭(12月16日)などがある。
→関連項目能登半島国定公園羽咋[市]妙成寺

気多神社【けたじんじゃ】

富山県高岡市に鎮座。旧県社。主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)・奴奈加波比売命(ぬなかわひめのみこと)。延喜式内社。神亀(じんき)年間(724年―729年)越中(えっちゅう)国から能登(のと)国が分立したとき,新越中国一宮は二上神社になったが,その後当社が二上を押さえて一宮になったという。

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デジタル大辞泉プラス 「気多神社」の解説

気多神社

富山県高岡市にある神社。“気多”は「けた」と読む。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。越中国一之宮。本殿は国の重要文化財に指定。

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世界大百科事典(旧版)内の気多神社の言及

【鵜飼い】より

…記紀の豊玉姫神話には,海辺にウの羽でふいた産屋をたてることがみられる。また石川県羽咋(はくい)市の気多(けた)神社で12月16日に行われる鵜祭は,七尾湾で捕らえたウミウを祭祀の聖なる料として祭神である大己貴(おおなむち)大神にささげることで知られている。《古事記》の国譲り神話によると,櫛八玉神がウに姿をかえて海にもぐり,海底の土で御贄(みにえ)をもる器をつくり,大己貴大神に天真魚咋(あまのまなぐい)を献じたとある。…

※「気多神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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