水木しげる(読み)ミズキシゲル

デジタル大辞泉 「水木しげる」の意味・読み・例文・類語

みずき‐しげる〔みづき‐〕【水木しげる】

[1922~2015]漫画家。大阪に生まれ、幼少時に鳥取県境港に移り育つ。本名、武良むら茂。妖怪漫画の第一人者として長年にわたって活躍。代表作「ゲゲゲの鬼太郎きたろう」では日本古来民間伝承を描き、さまざまな地方の妖怪を紹介した。戦争体験を生かした「昭和史」でも知られる。他に「のんのんばあとオレ」「悪魔くん」「河童三平」など。平成22年(2010)文化功労者

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知恵蔵 「水木しげる」の解説

水木しげる

日本のマンガ家。1922年3月8日、大阪市生まれ、鳥取県境港市出身。本名は武良茂(むら・しげる)。代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』など、幼い頃から興味を持っていた妖怪や異界を細密に描いた作品で人気となり、日本の妖怪像に大きな影響を与えた。また、自身の戦争体験を元に創作した作品も世に出し、高く評価されている。手塚治虫文化賞・特別賞(2003年)、朝日賞(09年)などを受賞し、10年には文化功労者に選ばれた。
幼少期を母親のふるさとである境港市で過ごした際、お手伝いの信心深いおばあさん「のんのんばあ」から妖怪や霊の話を聞かされ、夢中になった。絵が得意だったことから、1937年の境高等小学校卒業後は新聞配達所などで働きながら絵を学んだ。
太平洋戦争中の43年に召集され、激戦地ラバウル(現・パプアニューギニア)に配属される。上官のいじめやマラリアに苦しみ、爆撃左腕を失った。その一方で傷病兵としてナマレに滞在中、現地の集落へ通い、住民と親交を重ねた。
46年に復員し、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学するが、生活苦で中退。魚の行商やアパート経営などの職を転々とし、紙芝居作家を経て58年、貸本マンガ『ロケットマン』でマンガ家デビューを果たす。水木ペンネームは、戦後の一時期に住んでいた神戸市兵庫区水木通に由来する。60年に『ゲゲゲの鬼太郎』の前身となる貸本版「墓場鬼太郎」シリーズを発表、61年に貸本版『河童の三平』、63年に貸本版『悪魔くん』を刊行する。
貸本業界が衰退する中、マンガ雑誌「ガロ」で執筆。65年に「別冊少年マガジン」に掲載された「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞し、人気作家となる。「週刊少年マガジン」で「墓場の鬼太郎」(アニメ化に伴いタイトルを『ゲゲゲの鬼太郎』に変更)を連載、68年にテレビアニメ化され、妖怪ブームを巻き起こした。主人公の鬼太郎が妖怪退治をする同作は、それまで定まったイメージがなかった妖怪たちの姿を具体的に表現し、水木を妖怪ものの大家へ押し上げた。鬼太郎シリーズは、07年に「ゲゲゲの鬼太郎」、08年には「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌」として実写映画化された。また95年、作家の荒俣宏、京極夏彦らと共に「世界妖怪協会」を設立した。
73年、ラバウルでの体験を元に戦地で過酷な軍隊生活を送る兵隊たちを描いた『総員玉砕せよ!』を刊行。あとがきでは「兵隊というのは“人間”ではなく馬以下の生物と思われていたから、ぼくは、玉砕で生き残るというのはひきょうではなく“人間”として最後の抵抗ではなかったかと思う」と記している。他にも71年の『劇画ヒットラー』、88年の『コミック 昭和史』などで戦争の悲惨さやむなしさを伝えた。
晩年も創作意欲は衰えず、12年に『水木しげるの古代出雲』、15年に『水木しげるの泉鏡花伝』などを発表した。
私生活では1961年に妻布枝(ぬのえ)さんと結婚し、二女の父親となる。10年には布枝さんの自伝『ゲゲゲの女房』を基に、同名のNHK朝の連続テレビ小説が制作され、話題を呼んだ。
水木の事務所「水木プロダクション」によると、15年11月11日に自宅で転倒。硬膜下血腫で緊急手術を受け、一時回復傾向にあったが、30日に多臓器不全のため93歳で亡くなった。生前に手掛けた最後の仕事は、12月2日に発売された世界妖怪協会の機関紙「怪」のイラストと談話だという。

(南 文枝 ライター/2015年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「水木しげる」の意味・わかりやすい解説

水木しげる
みずきしげる

[生]1922.3.8. 大阪
[没]2015.11.30. 東京
まんが家。本名武良茂。鳥取県境港市で育ち,武蔵野美術学校に学ぶ。第2次世界大戦に従軍し,パプアニューギニアのラバウルで左腕を失う。復員後紙芝居作家を経て,1958年『ロケットマン』でまんが家としてデビュー。1965年,まんが雑誌『週刊少年マガジン』に『ゲゲゲの鬼太郎』(当初は『墓場の鬼太郎』)を連載,これが代表作となり,のちテレビアニメーション化された。妖怪や民族神に興味をもち,まんがに登場する多くの妖怪は昔から各地で言い伝えられている古来のもの。妖怪研究者としても知られた。ほかに『テレビくん』(講談社児童まんが賞),『河童の三平』『悪魔くん』『のんのんばあとオレ』(アングレーム国際漫画フェスティバル最優秀コミック賞),『総員玉砕せよ!』(アングレーム国際漫画フェスティバル遺産賞,ウィル・アイズナー賞最優秀アジア作品賞)など。著書に『娘に語るお父さんの戦記』(1982),『生まれたときから「妖怪」だった』(2002)などがある。1991年紫綬褒章,2003年旭日小綬章を受章。2010年文化功労者に選ばれた。2003年境港市に水木しげる記念館が開館した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「水木しげる」の解説

水木しげる みずき-しげる

1922- 昭和後期-平成時代の漫画家。
大正11年3月8日生まれ。復員後,紙芝居をかき,昭和32年貸本漫画の「ロケットマン」でデビュー。40年「テレビくん」で講談社児童まんが賞。「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」などで人気作家となる。自分の体験をふまえた戦記物もおおい。平成10年児童文化功労賞。19年「Non Non Ba(のんのんばあとオレ)」がフランス国際漫画大賞。21年朝日賞。22年文化功労者。鳥取県出身。武蔵野美術学校(現武蔵野美大)中退。本名は武良(むら)茂。著作に「妖怪事典」など。

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百科事典マイペディア 「水木しげる」の意味・わかりやすい解説

水木しげる【みずきしげる】

漫画家。本名武良茂。鳥取県境港市生れ。伝説や民間信仰の豊かな風土に育つ。1943年応召,ラバウル戦線で左腕を失うが,原地の人びととの交流を通して,民族学的関心を持つ。1946年復員後,武蔵野美術学校入学(1950年中退)。いくつかの職業をへて紙芝居を手がける。1957年上京,《ロケットマン》で貸本漫画家となり,《墓場鬼太郎》《河童の三平》などの妖怪漫画を発表。貸本漫画衰退後は《テレビくん》で人気を得,《ゲゲゲの鬼太郎》《悪魔くん》がヒットした。他にイラスト集《妖怪画談》などがある。2010年文化功労者。

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世界大百科事典(旧版)内の水木しげるの言及

【劇画】より

…60年代にはだれの眼にも明らかになった日本経済の復興を背景として,社会の表層をながれる明るい気分とうらはらな黒い怒りを主調とする劇画が,はじめは貸本屋に,後には少年週刊雑誌にあらわれた。百姓一揆を主軸にすえた白土三平《忍者武芸帳》全17巻(1959‐62),現代を支配する悪の力をえがいた水木しげる《悪魔くん》全2巻(1964)は,紙芝居のなかで育った貸本屋読者層におくられた劇画の代表作である。描法からいえば,命名者辰巳ヨシヒロが自著《劇画大学》(1968)でのべたように,劇画の特色は一つの行動をえがくのにコマ数を多くすることであり,映画の高速度撮影に似ている。…

※「水木しげる」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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