20世紀日本人名事典 「永田 鉄山」の解説
永田 鉄山
ナガタ テツザン
大正・昭和期の陸軍中将 陸軍軍務局長。
- 生年
- 明治17(1884)年1月14日
- 没年
- 昭和10(1935)年8月12日
- 出生地
- 長野県
- 学歴〔年〕
- 陸士(第16期)〔明治37年〕卒,陸大〔明治44年〕卒
- 経歴
- 陸大を抜群の成績で卒業し、大正2年から約10年間、ドイツ、デンマーク、スウェーデン、スイスに駐在。12年参謀本部に入ったあと数育総監部課員、陸大教官、警備局動員課長、第3連隊長を経て昭和3年軍務局軍事課長、さらに参謀本部第2部長と歩兵第1旅団長を歴任し、9年に軍務局長に就任。10年8月皇道派の陸軍中佐・相沢三郎に斬殺された。幼年学校、士官学校、陸大を首席で通し、「鉄山の前に鉄山なく、鉄山のあとに鉄山なし」といわれた俊才の合理主義者。軍務局長としては軍事総動員体制の基礎を築いたが、林陸相一派のいわゆる統制派に属し、皇道派からの攻撃目標となっていた。死後、中将に進級。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報