現代外国人名録2016 「江 沢民」の解説
江 沢民
コウ・タクミン
Jiang Ze-min
- 職業・肩書
- 政治家 元中国国家主席,元中国共産党総書記・中央軍事委員会主席,元中国国家中央軍事委員会主席
- 国籍
- 中国
- 生年月日
- 1926年8月17日
- 出生地
- 江蘇省揚州
- 学歴
- 上海交通大学電気機械学部電機科〔1947年〕卒
- 経歴
- 大学在学中の1946年中国共産党に入党。’49年新中国成立。’50年華北軍区軍事技術部長。’50〜56年駐ソ大使館参事官。その間’55年中国機械工学協会科学指導局長を務め、’55〜56年モスクワのスターリン自動車工場で実地研修を受けた。帰国後、長春第一自動車工場動力分工場長。以後第一機械工業省武漢熱加工機械研究所長、同省外事局長などを歴任。文革時代の動静は不明。’80年から政治協商会議全国委員、国家輸出入管理委員会、国家外国投資管理委員会の両副主任を経て、’82年5月電子工業省次官、同年9月党中央委員、’83年電子工業相。’85年6月上海市党委副書記、7月同市長。’87年党政治局員に抜擢され、上海市長、同市党委書記を兼務。’88年上海市長を離任し、市党委書記に専念。’89年胡耀邦元総書記の死をきっかけに始まった学生・市民らによる一連の民主化要求運動に対しては、上海紙「世界経済導報」を発禁処分にし、5月20日の戒厳令や6月4日の武力鎮圧には真っ先に支持を表明、直後党中央宣伝イデオロギー工作責任者となり、20日には初の死刑を上海で執行するなど一貫して保守的・反民主的な立場をとり続け、24日総書記に抜擢された。9月鄧小平の後継者に指名され、同11月党中央軍事委主席に就任。’90年4月国家中央軍事委主席。’93年3月国家主席に選出され、党、国家、軍の三大権力を掌握。’97年7月1日、155年ぶりに英国から香港が返還され、香港特別行政区が成立。同年10月初の米国公式訪問。’98年7月日本共産党・不破委員長と32年ぶりの首脳会談を行い、両党関係の正常化を確認。同年12月国賓として来日。2002年11月党総書記、政治局常務委員を退任、軍事委主席は留任。2003年3月国家主席を退任、中央軍事委主席は留任。2004年9月党軍事委主席を辞任。2005年3月国家軍事委主席も退き引退したが、その後も上海閥のリーダーとして政界に影響力を持ち続ける。英語、ロシア語、フランス語、ルーマニア語、日本語に堪能で、音楽、絵画、文学にも造詣が深いという才人。著作集に「江沢民文選」(3巻,2006年)がある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報