朝日日本歴史人物事典 「沢村田之助(3代)」の解説
沢村田之助(3代)
生年:弘化2.2.8(1845.3.15)
幕末明治初期の歌舞伎役者。俳名曙山。5代目沢村宗十郎の次男として江戸に生まれる。幼名由次郎。安政6(1859)年田之助を襲名。勝ち気な性格を反映した派手な芸風で,美貌,美声の上に抜群の演技力を持ち,16歳で守田座の立女形となる異例の出世をした。また人気も絶大で,田之助髷,田之助襟などの流行を生み出したが,脱疽で両手両足を順に失い,明治5年引退を表明。その後「明烏」の浦里など,座ったまま勤める役で舞台に復帰したが,まもなく狂死した。幕末頽廃期の歌舞伎の終焉を飾る象徴的存在であり,その劇的な生涯は,舟橋聖一『田之助紅』,杉本苑子『女形の歯』,皆川博子『花闇』など数々の小説や戯曲を生んでいる。田之助の名跡は平成期の6代目におよぶ。<参考文献>伊原敏郎『明治演劇史』
(石橋健一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報