20世紀日本人名事典 「河口 慧海」の解説
河口 慧海
カワグチ エカイ
明治〜昭和期の仏教学者,チベット探険家
- 生年
- 慶応2年1月12日(1866年)
- 没年
- 昭和20(1945)年2月24日
- 出身地
- 大阪府堺市
- 別名
- 幼名=定治郎,僧名=慧海仁広(エカイジンコウ)
- 学歴〔年〕
- 東京哲学館(現・東洋大学)卒
- 経歴
- 明治20年井上円了の東京哲学館に入り、宗教、哲学を学び、23年東京・本所の黄檗宗五百羅漢寺の僧となって慧海仁広の僧名を受けた。チベット語の仏教原典を入手するため30年6月神戸港を出航、インドでチベット語を学び、34年ネパールを経てチベットの首都ラサに入る。仏門に入って調査、35年文献を持って脱出、36年に帰国し、翌年「西蔵旅行記」(上下)を刊行。38年再びネパールに入り、大正2年までインド大学でサンスクリット語を学び、チベット入り。ダライ・ラマとも交歓、チベットの一切経(大蔵経)や仏像、仏画などを得て5年帰国。10年僧籍を返上、のち大正大学教授、東洋文庫研究員などを務めた。“チベット学”の祖といわれる。他の著書に「西蔵文典」「漢蔵対照・国訳 維摩経」「梵蔵伝訳・国訳 法華経」「西蔵語文法」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報