河津祐邦(読み)かわづ・すけくに

朝日日本歴史人物事典 「河津祐邦」の解説

河津祐邦

没年:明治1.3(1868)
生年:生年不詳
幕末幕臣で,蝦夷地探検開拓者。安政1(1854)年松前藩蝦夷地用掛堀利〓に従い徒目付として蝦夷各地を調査,のち箱館奉行支配調役,組頭と累進し,同3年東蝦夷地に領地を松前藩より受領。五稜郭建設,北蝦夷地開拓に尽力。文久2(1862)年帰府し新徴組組頭。翌3年外国奉行となり,大久保忠恕,池田長発と共に横浜鎖港につき英・仏公使と会談,遣欧使節にも副使として参加したが,パリ交渉で開国の必要を痛感し,パリ約定調印後直ちに帰国し元治1(1864)年幕府建議,逆に忌諱に触れ免職。のち許され歩兵頭並となり,関東郡代,勘定奉行,長崎奉行。長崎では浦上キリシタン問題に当たったが,ほどなく官軍進駐により脱走。明治1(1868)年には外国事務総裁,若年寄歴任して,瓦解期幕府の整理につとめた。明治前期の官吏河津祐之は子。<参考文献>岡田健蔵『函館市功労者小伝』

(岩壁義光)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「河津祐邦」の解説

河津祐邦 かわづ-すけくに

?-1868 幕末の武士
幕臣。新徴組組頭から文久3年外国奉行となり,横浜鎖港交渉副使として正使池田長発(ながおき)とヨーロッパにわたる。帰国後,鎖港の不可能を報告して免職となるが,のちゆるされて長崎奉行となり,慶応4年外国事務総裁などを歴任。慶応4年3月死去。江戸出身。通称は三郎太郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

黄砂

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android