津村淙庵(読み)つむら・そうあん

朝日日本歴史人物事典 「津村淙庵」の解説

津村淙庵

没年:文化3.5.16(1806.7.2)
生年:元文1(1736)
江戸中期の和学者,随筆家。名は正恭,三郎兵衛と称した。藍川は別号。江戸伝馬町商家の次男,兄が夭折し家督を継ぐ。幼少より好学で宝暦12(1762)年以降成島錦江師事。錦江没後,その歌集を錦江の子竜洲と編集した。学問は和学に重きをなし抄録を主としたが,『阿古屋之松』や『雪のふる道』など数種の紀行をものしている。随筆譚海』(写本,15巻,1795年跋『日本庶民生活史料集成』8巻)は20年間書き留めた見聞録であり,天明,寛政時代の世相や流行を知るのに至便。『片玉集』(写本,3編249冊,宮内庁書陵部蔵)は,平安時代から江戸中期までの主に和文学980点を収録した一大叢書である。<参考文献>森銑三「津村淙庵」(『森銑三著作集』7巻)

(ロバート・キャンベル)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津村淙庵」の解説

津村淙庵 つむら-そうあん

1736-1806 江戸時代中期-後期の国学者,随筆家。
元文元年生まれ。江戸の出羽久保田藩(秋田県)御用達商人。成島錦江(きんこう)にまなび,石川雅望(まさもち),大田南畝(なんぽ)らと親交があった。20年間の見聞録「譚海」,紀行文「雪の古道」などがある。文化3年5月16日死去。71歳。名は正恭。通称は三郎兵衛。別号に藍川。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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