津田信之(読み)つだ・のぶゆき

朝日日本歴史人物事典 「津田信之」の解説

津田信之

没年元禄11.7.8(1698.8.13)
生年:明暦1(1655)
江戸前期の槍術家。尾張(名古屋)藩士。権之丞と称し,一兮と号した。幼少から槍を好み,伊東流(建孝流)管槍を轟勘兵衛,佐分利吉兵衛忠村に学んだ。のちに独自の一派を開き,貫流を称し,津田流,津田貫流,尾張貫流とも別称された。才人であったらしく,当初進物番という軽職から逐次出世を重ね,元禄5(1692)年には槍奉行300石となった。貫流は子の親信により藩主徳川吉通に伝えることにより信任を厚くし,以降尾張藩を中心に盛んになった。現代では他の管槍諸流は絶え,貫流のみ尾張地区で継承されており,貴重である。<参考文献>今村嘉雄他編『日本武道大系』7巻

(松井健二)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「津田信之」の解説

津田信之 つだ-のぶゆき

1655-1698 江戸時代前期の槍術(そうじゅつ)家。
明暦元年生まれ。尾張(おわり)名古屋藩士。伊東流(建孝流)佐分利忠村(さぶり-ただむら)の門人。独立して貫(かん)流をひらく。元禄(げんろく)5年槍(やり)奉行となる。元禄11年7月8日死去。44歳。通称は権之丞。号は一兮(いっけい)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android