20世紀日本人名事典 「浅井 忠」の解説
浅井 忠
アサイ チュウ
明治期の洋画家 東京美術学校教授;京都高等工芸学校教授。
- 生年
- 安政3年6月21日(1856年)
- 没年
- 明治40(1907)年12月16日
- 出生地
- 江戸・京橋木挽町
- 別名
- 幼名=忠之丞,常保,号=黙語,木魚
- 学歴〔年〕
- 工部美術学校〔明治11年〕中退
- 経歴
- 明治8年国沢新九郎に洋画を学び、9年工部美術学校に入学、フォンタネージに師事。11年十一字会を結成し、22年には明治美術会を創立して「春畝」「収穫」などを発表。31年東京美術学校教授に就任し、32年から35年までフランスに留学、帰国後は京都高等工芸学校(のち京都工芸繊維大学)首席教授となる。また36年聖護院洋画研究所を創設。39年には関西美術院を創立、院長として関西洋画界の育成に努めた。他の代表作に「旅順戦後の捜索」「グレーの秋」「武士の山狩」などがある。挿絵も多く、「ホトトギス」には創刊以来、表紙画、口絵、挿絵を描いた。また漱石の「吾輩ハ猫デアル」などの挿絵も描いた。黒田清輝と並ぶ明治期の巨匠。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報