浜田 喜一(初代)(読み)ハマダ キイチ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「浜田 喜一(初代)」の解説

浜田 喜一(初代)
ハマダ キイチ


職業
民謡歌手

肩書
全国民謡連盟本部理事長

本名
正木 喜一(マサキ キイチ)

出生地
北海道 江差町

経歴
網元の家に生まれ、江差追分名人だった父に民謡を習った。15歳からプロになり、20代で一座を組んで全国を回った。戦後は「追分浜田か、浜田の追分か」といわれ、土のにおいのする独特の浜田節で、初代鈴木正夫とともに、民謡ブームをもたらした。肺結核で片肺を切除したため、昭和30年代に引退を決意、弟の隆幸に芸名を譲ったが、その後再起、もとの芸名に初代を冠して死の4、5年前までビクター専属歌手として第一線で活躍していた。

没年月日
昭和60年 8月22日 (1985年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

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