淡海槐堂(読み)おうみ・かいどう

朝日日本歴史人物事典 「淡海槐堂」の解説

淡海槐堂

没年:明治12.6.19(1879)
生年:文政5.12.1(1823.1.12)
幕末尊攘派志士。儒者下坂篁斎の子に生まれる。京に出て薬業を営むかたわら,安政3(1856)年公家醍醐家に仕え板倉の姓を与えられる。文久2(1862)年洛東日吉山に文武館を設け尊王攘夷運動を支援。翌年8月18日の政変ののち,三条実美に糧食,金品を送り,天誅組に兵器を補給した。長州藩急進派による禁門の変後の元治1(1864)年8月,六角の獄につながれ,33カ月の在獄ののち慶応3(1867)年4月出獄。討幕運動を支援し中岡慎太郎に資金を送る。翌明治1(1868)年4月醍醐家を去り,姓を淡海とした。大津裁判所参謀,宮内中録などを歴任し明治5年辞官,詩画に親しみ57歳で没。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「淡海槐堂」の解説

淡海槐堂 おうみ-かいどう

1823*-1879 幕末の尊攘(そんじょう)運動家。
文政5年12月1日生まれ。近江(おうみ)(滋賀県)の儒者下坂篁斎の子。京都の醍醐(だいご)家につかえ,板倉を名のる。私塾文武館をひらき,坂本竜馬らとまじわる。天誅(てんちゅう)組の挙兵の際,武器などを援助したため元治(げんじ)元年幕吏に捕らえられたが,のちゆるされ淡海と改姓した。明治12年6月19日死去。58歳。名は緝。字(あざな)は敬夫。通称は重涂。

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